自然的な善

 

 

天界の秘義5023

 

なぜなら霊的なものでない自然的な善は、誤謬は真理であり、真理は誤謬であると容易に説きつけられるからである。

 

 

天界の秘義5032[2]

 

 ここにとり扱われている主題は、霊的なものでない自然的な善は容易に説得されて、そのため誤謬は全く真理としてそれに見えるということである。霊的なものでない自然的な善とは何であるか、その性質はいかようなものであるか、この善の中にいる者はたれであり、またいかような性質を持っているかは、前に見ることができよう(4988、4992、5008、5013、5028番)、すなわち、かれらは遺伝的なものから、引いては外来的なものから優しくて、気質の良い者であり、かくて善いことを性質から為すが、宗教からは為さない者である。善を性質から為すことと、宗教から為すことは全く異なっている。この二つのものは世では人間によっては区別されることはできない、なぜなら人間は内部を知らないからであるが、しかし他生ではそれらは明らかに識別されるのである、なぜならかの生命の中では内部は明らかにされ、思考、意図、目的はそれ自身を明らかに示し、白日の中にあるかのように明らかに目に見られるからである。

 

 

天界の秘義5032[3]