とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う

使徒言行録26・14

 

使徒言行録26・14

 

サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P119

‘89・2・15

 

我がヴァッスーラ、決して落胆しないように、あなたの前に立っている、それに私のような者がほかにあろうか? 私は初めであり終わり、永遠なる者、今在り(I Am)、以前も在り、永遠に在り続ける ♡ みことばはこの地上の 隅々まで知られよう、みことばを足げにする者は 羊飼いの杖を自分で蹴っているのを見出す ♡ これからも世界の四隅で 迫害する者がさらに多く出ては、巨大な岩の塊となって、我が道を遮る垣根を 人類全体に張り巡らそう。 彼らが無慈悲で、驕りと反逆にみち、荒れ果てた荒野だと 初めから知っていた。 軍団となって立ちはだかるが、全てが空しく、我が息の一撃をもって打ち負かされ、排除されよう、私は主、あなたの聖なる者、みことばが知られるように、私は王や王国を打ち倒したことで知られている、我が力をもって、玉座を崩し 自らを「権威」と呼ぶ人びとに 恥じをおわせた、そしてこのたびもそうする、どの眼にも見えるように 彼らを露にする、もうこれ以上は 怒りを抑え留めないで。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P208

‘89・7・17

 

♡ 我が子よ、私の言葉を聞いて書きなさい ♡ 私は我が群れの大いなる牧者。 群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。 一番の友が最大の悲しみをもたらしている、私のからだに最も深い傷を負わせているのは 私自身の手で杖を与えた者たちだ。 彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で 見分けのつかないほど私は深傷(ふかで)を負い、我が背中は絶え間なく鞭打たれている。 全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を叫ぶが、平和はなく、合理主義、不従順と虚栄心に魅せられ捕えられている。 彼らは何という悲しみを与えているか なんと私を傷つけていることか!

 

主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?

 

ひとたび偽りの笏を握るなら手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に死ぬのは難しい、自らを−卑しめる−衣を纏(まと)うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 吠えたけるように、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめきなさい、群れの主たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるであろうから。 私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなた方は我が掟を護らないで、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、私は声をかけた、だが聞こうとしないで、私に従わなかった(*)・・・

 *非常に苦い思いが込められていました。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P237

‘89・8・29

 

我が愛ゆえにあなた方を贖おうと 今日私は慈しみに満ちて降って来た。 我が恵みの聖霊は地上を霞のように 覆うであろう。 はっきりと言うが あなた方に対する恵みを何倍にも増やし、みことばは多くの人に明かされ 聞かれるであろう、そして幻視を何倍にも増やす、そこで我が恵みの聖霊を無視し 押さえようとするすべての人は羊飼いの杖を蹴っているに過ぎない、その努力は空しく終わろう、私、主が、あなた方を甦らせ 暮らしているこの砂漠を耕し 欺く蜃気楼をオアシスに変えるからである。 私、神は、あなた方の前に立って いまだに我が聖霊を虐げる人たちに尋ねる: 時の印がどうして見分けられないか? 我が印や不思議を承認しないまま 放っておこうとどうして決めたのか? 度重ねて声を黙らせ 我が預言者たちを迫害するのはどうしてか? 何を恐れて あなた方の闇を照らす小さな炎も 必死に消そうとするか? 我が恵みによってあなた方の荒地と不毛の地に咲く花を どうして飛んで来て どれも踏みにじろうとするか? では 私が(I am)誰であるかを教え 思い出させよう:

私はみことば そしていのちがある

私は行動する

 

 

(悪霊らは主を信じている者たちとは共にいることは出来ないことについて)

霊界日記1966

 

 悪霊らは天使たちから熟視されることにより苦しめられ、責め苛まれることは前に示した。信仰の中におり、または主により信仰の中に留め置かれている人間の場合も非常に類似しており、そのときは悪霊らは彼らに近づくことは出来ないのであり、もし彼らがそうしたことを企てるなら、同じように責め苛まれ初めて、逃げ去ろうとするのである。私は彼らが信仰を持った者たちの眼前に置かれるとき、苦情を申し立て、嘆き悲しむのを幾度も聞いたのである。1748年〔60歳〕5月16日

 

 

天界と地獄232

 

悪霊は天使たちからただ見られるのみで、失神し、人間としては現れなくなり、しかもそれがその天使が彼から目をそらさぬうちは続くということからもまた明白になったのである。こうした結果が天使の視線から生まれるという理由は、天使たちの視覚は天界の光から発しており、天界の光は神的真理であるということである(前の126−132参照)、眼はまた善から発している諸真理に相応している。

 

 

 

世のひかり社/デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻下P113