下積み

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P187

(聖母がワルトルタに)

 

「注目してもらいたい、もう一つのことは、神に対しての信頼です。これについて、もう話したことがありますが、あえて繰り返して言います。信頼は、すべての対信徳を要求します。信頼する人には、信仰があるしるしです。信頼する人は、希望している人です。信頼している人は、愛している人です。愛する人は、相手に希望し、信じ、信頼します。神は、私たちのすべての信頼に値するものです。時として裏切ることもあるあわれな人間に信頼しているとすれば、絶対に裏切ることのない神に向かって、どうして、この信頼を拒むのですか。

 

 信頼は謙遜です。傲慢な人は、『自分で充分にできる。あの人は信用できない。無知で、うそつきで横柄だから・・・』と言う。謙遜な人は、『私は信頼する。なぜ信頼してはいけないのか? 私があの人よりも良いとどうして言えるのか・・・』と言う。また、神について『良いお方である神になぜ信頼しないのか? 自分で何でもできるとどうして考えてよいか』と言うのです。神は、謙遜な人には与えるが、傲慢な人からは離れます。

 

 信頼は従順でもあります。このために、神は従順である人を愛されます。従順とは、自らを神の子として認め、神を父として認めるということです。父が“まことの父”だったら愛するのが当然です。神は、われらのまことの父、完全な父であります。

 

あなたたちに黙想してほしい、もう一つの点も信頼に基づいています。起ることは、すべて神のゆるしがなければ起るはずはありません。それなら、あなたが権力(ちから)を得たとすれば、これも神のおぼしめしであり、下積みであるとすれば、それも神のおぼしめしによるものです。権力あるものは、権力が害にならないように警戒しなさい。初めは他人にとってだけの損害と見えたにしても、そのうちに“あなたの損害”になります。というのは、神は色々耐え忍んでくださるとしても、無限に耐え忍ぶことはなく、あなたが限度を越えれば、打たれて崩壊するでしょう。あなたが他人の下にいるとしたら、あなたのこの身分を、天の保護を引くための磁力にしなさい。決して呪ってはいけません。それらのことは神にまかせなさい。人間を祝福するか、呪うかは、皆の主である神だけの権利です。さあ、安心して平和に行きなさい」