1.教義

2.誤謬

 

1.教義

 

啓示による黙示録解説282

 

『舌』は、器官としては、教義を意味しているが、しかし言葉としては、また宗教を意味している。『舌』は教義を意味していることを知っている者は、地獄の富んだ男がアブラハムに言った言葉の意味を理解することができよう―

 

 かれが焔の中で苦しめられないように、ラザロがその指先を水につけて、かれの舌を冷やしてくれるようん、かれをつかわすように(ルカ16・24)。

 

『水』は真理を、『舌』は教義を意味しており、その誤謬のために、彼は苦しんだのであって、焔によって苦しんだのではなかったのである、なぜなら地獄ではたれ一人焔の中にはおらず、そこの焔は誤謬の愛の外観であり、火は悪の愛の外観であるからである。

 

 

 

 

2.誤謬

 

 

天界の秘義1178

 

「かれはエホバの前に狩ることに力があった。」これはかれが多くの者を説きつけたことを意味していることは、仁慈から分離した信仰はそのようなものであることから、また聖言の『狩ること』の意義からも明白である。仁慈から分離した信仰は人間が容易に説きつけられるような性質を持っている。人類の大部分は内なるものとは何であるかを知っていないで、ただ外なるものを知っているに過ぎないのであり、大半の人間は感覚と快楽と欲念の事柄との中にとどまっていて、自分自身と世とを顧慮しており、それ故このような宗教に容易に捕らわれるのである。聖言の『狩ること』の意義から明らかであるのは、『狩ること』は、全般的に言って、説きつけることを意味しており、とくに、人間の心をその感覚的な性向と快楽と欲念に媚びることにより捕え、教義を用い、それをかれらがかれらの気質や他の者の気質に順応しつつかれら自身の好むままに、またかれら自身を高揚させ、豊かにもしようという目的から説明することにより―かくて説きつけることにより捕えることを意味しているためである。

 

[2]たとえばエゼキエル書にこのことが明白にされているのである―

 

  わたしの手の関節のことごとくに座ぶとんをぬいつけ、凡ゆる背丈の頭の上にベールを作って魂を狩る者には禍いあれ。おまえらはわたしの民のために魂を狩り、おまえら自身のために魂を生かしておくのか。おまえらはひとにぎりの大麦のため、またいく片かのパンのためにわたしの民の間でわたしを冒涜し、虚言に耳を傾けるわたしの民に虚言を述べて、魂を飛ばせるために用いるおまえらの座ぶとんに立ちむかって、それをおまえらの腕から引きちぎり、その魂を行かせよう、おまえらが狩って、飛ばせている魂を行かせよう、わたしはまたおまえらのベールも引きちぎって、わたしの民をおまえらの手から解き放とう、かれらはかさねておまえらの手に陥って狩られはしないであろう(13・18)

 

 『狩ること』の意義がここに説明されている、すなわち、それは説得することにより捕えることであり、またかれらがかれら自身のために、また他の者の気質に迎合して歪曲して、解釈するいくたの知識により捕えることであることが説明されている。

 

[3]ミカ書には―

 

 慈悲のある人間は地から滅んでしまった、人間の中には正しい者は一人もいない、かれらは凡て待ち伏せて血を求めている、彼ら各々はその兄弟を網をもって狩り、手で善を為さないで悪を為している、君は報酬を求めて、そのために審判き、大いなる人間はその魂の邪しまなことを口にし、彼らはそれを歪めている(7・2、3)。

 

 ここにも同じく『狩ること』により意味されていることが説明されており、すなわち、それは自己のために待ち伏せしていることであり、または誤ったものを真と呼び、邪しまなことを語り、歪め、かくして説きつけることである。ダビデの書には―

 

 舌[言葉]の人間は地には確く立てられはしないであろう、悪は暴力をふるう人間を狩って、これをくつがえすであろう(詩篇140・11)。

 

これは誤謬により説きつけ、欺こうとして悪いことを考え、しかも優しげに語る邪悪な者について言われており、ここの『舌[言葉]』は虚偽を意味している。

 

 

 

 

 

天界の秘義4795

 

 この凡てから舌には二重の務めが、すなわち、言葉を助ける務めと栄養を助ける務めとが割り当てられている理由が明白である。なぜならそれが栄養を助けているかぎりでは、真理の方面で知り、理解し、賢くなることを求める情愛に相応しており、そうした理由からまた知恵(sapientia)と賢くなることは(sapere)、風味(sapore)からそのように呼ばれているのであり、それが言葉を助けているかぎりでは、真理を考え、真理を生み出すことを求める情愛に相応しているからである。

 

 

 

霊界日記1359

 

それで舌は真理の情愛[真理に対する情愛]を意味している、なぜなら情愛は天的なものであり、真理は霊的なものであるからである。かくて真理の情愛を享受している者たちが舌の領域を構成している。

 

 

 

霊界日記1360

 

しかしながら、内的な物と更に内的な物とを憎悪する者らのゆに、真理を憎悪する者らは舌の領域を構成する者たちに反している。霊たちの間には、内的な真理のみでなく更に内的な真理を、たとえそれを理解しないものの、愛している者たちがおり、また霊たちの間には、多くの理由から真理を憎悪している者たちもおり、彼らはたれからもそのような者であるとは怪しまれはしないといった霊どもである。

 

 

 

霊界日記1361

 

更に、これらの霊は、数週間も、実に、一ヶ月以上もの間私を悩ませ、いわば、私の舌を齒の間に押し込んで、それを切り取ってしまおうとする衝動を、かくてそうした危険を掻き立てたのである。長い間私はこのことについて悩み、たらかが、いわば、こうした衝動に、またはこうした衝撃に悩まされるとは信じがたい、と言ったのである。実に、私はそれが何処から起こっているかを知っているのである。その原因は真実なものを憎悪している凡ての者の中に在るのであり、彼らは文字の意義のみを愛しているのである、なぜなら彼らは彼ら自身の功績を信頼し、何らかの迫害のために、その他多くの原因のために天界に価しようと願っているからである。

 

 

 

霊界日記1465

 

数週間にわたり、実に一ヶ月以上にもわたって、私の舌は危険な状態に陥ったが、それは、前に語った原因のために(1360−61)、霊的な、また天的な、更に内的な事柄に反感を抱いている者らから起こったのである。そこからそうしたことを引き起こす者らは自分自身の知恵を信じるといった底のものであり、更に内的な物を嫌悪して、これに対立する者であるか否かを結論づけることが出来よう。1748年[60歳]3月17日