司政長官における仁慈

 

 

 

仁慈の教義161.(2)

 

 司政長官における仁慈。司政長官により王国、共和国、地域、都市、社会における最高の職務担当者が、即ち、民事においてそれらのものを統治する者たちが意味されている。彼ら各々の者がその者自身の地位で、もし主を仰いで、悪を罪として避け、誠実に、公正に、忠実にその高い任務の業を遂行するなら、その共同体の中で絶えずその共同体と個人とに用の善を行っており、仁慈の形となるのである。そしてそのことを彼はその被統治者または市民の善に対する情愛により感化される時行うのであり、彼がそのように感化される時、心を動かされて、賢明で、神を恐れる人々と共同して有益な法律を確立し、その法律が遵守されるように心を配り、特にその法律の下に生きるように(配慮し)、また彼の下に理知があると同時に慈悲心を持った役員を任命して人々を治め、その役員を通して、彼の統治の下に(正しい)審判と公正とが支配し、絶えずその共同体の善を遂行するのである。神は自分自身を他の者たち