知ることを求める情愛

 

 

 

神の愛と知恵404[6]

 

「結婚後、最初の連結は知ることを求める情愛を通して生まれ、そこから真理に対する情愛が発している」。結婚により、無知の状態から理知の状態へ、理知の状態から知恵の状態へ至る出生後の人間の状態が意味される。純粋な無知の状態である最初の状態はここで結婚により意味されていない、何故ならその場合理解から発した思考はなく、単に愛または意志から発する不鮮明な情愛が在るにすぎないから。が、その状態が結婚へ導いて行く。小児時代の人間に属する第二の状態には、我々の知るように、知ることを求める情愛が在り、その情愛により小児は語ったり、読んだりすることを学び、その後徐々に理解に属する物を学ぶのである。それを行うものは意志に属する愛であることは疑うことは出来ない、なぜならそれは愛または意志により行なわれない限り、為されないから。人は各々出生後知ることを求める情愛を持ち、その情愛を通して知識を得、知識により理解が徐々に形作られ、拡大され、完成されることは、経験を注意して考察する者凡てにより承認されている。そのことから真理に対する情愛が発することもまた明らかである。何故なら人間は知ることを求める情愛から理知的になった時、彼はその知ることを求める情愛によって導かれるよりはむしろ、経済的なものであれ、社会的なものであれ、道徳的なものであれ、その愛する主題について思索し、結論を出すことを求める情愛により導かれるからである。この情愛が霊的な物に高揚されるとき、それは霊的な真理に対する情愛となる。その最初の、または発端の状態は知ることを求める情愛であったことは、真理に対する情愛は知ることを求める情愛の高揚され

たものであるという事実から認められることが出来よう、何故なら真理によって感動することは、情愛から真理を知ろうと欲し、これを見出したとき、情愛の喜びからそれを飲み込むことと同一であるからである。