心臓

 

 

 

1.心臓は彼の生命の最初のものであり、またその最後のもの

2.仁慈

3.心臓と肺臓からそれらをとりまいている内臓はことごとく生きている

4.主を告白している者たちは、金の胸板を与えられている

5.わたしの聖心の鼓動の一打ち、一打ちは、一つの霊魂を呼んでいる

6.心臓は肺臓を作り、他の器官を作る

 

 

 

 

1.心臓は彼の生命の最初のものであり、またその最後のもの

 

 

神の愛と知恵379

 

愛は人間の生命であるため、心臓は彼の生命の最初のものであり、またその最後のものである。そして愛は人間の生命であり、霊魂は身体の中にその生命を血液により維持しているため、聖言には血液は霊魂と呼ばれている(創世記9・4、レビ記17・14)。

 

 

 

神の愛と知恵399

 

心臓は身体の中に働く最初のものであり

 

 

 

 

2.仁慈

 

 

天界の秘義1843[]

 

 しかし最後の時に死滅してしまう信仰により仁慈以外には何ごとも意味されてはいないのである、なぜなら仁慈の信仰以外にはいかような信仰も決してありえないからである。仁慈を持たない者は信仰を些かも持つことはできない、なぜなら仁慈は信仰がその中に植えつけられる土壌そのものであり、それは信仰の心臓であり、信仰はその心臓から存続し、また生きるからである。それで古代人は愛と仁慈とを心臓に、信仰を肺臓にたとえたのであり、この二つとも胸の中に存在しているのである。このたとえには真に似たものが含まれているのである、なぜならもし人間がかりにも仁慈無しに信仰の生命を得ようとするなら、それは心臓もないのに肺臓のみから生命を持つようなものであって、これは明らかに不可能であるからである、それで古代人は仁慈にぞくしたものをことごとく、心臓(ハート)の事柄と呼び、仁慈を欠いた信仰にぞくしたものをことごとく口先のみのものであると言い、または息が言葉へ流れ入って生まれる肺臓のものであるとも言ったのである。ここから善と真理とにかかわる古代の言葉の形式が生まれたのである、すなわちそれらは心臓(ハート)から生まれなくてはならない。

 

 

 

 

3.心臓と肺臓からそれらをとりまいている内臓はことごとく生きている

 

 

天界の秘義2054

 

教会は、主の王国の中では、心臓と肺臓とが人間の中におかれている状態に似ているのである。人間の内的なものは心臓と肺臓とにより外なるものに連結していて、心臓と肺臓からそれらをとりまいている内臓はことごとく生きているのである。人類もまたそのようになっている、すなわち、主と主の天界とは教会に最も近く連結しているが、教会の外にいる者たちとはさらに遠くから連結していて、教会の外にいる者たちは心臓と肺臓とにより生きている器官に似た状態におかれているのである。天的な者は心臓に似ており、霊的な者は肺臓に似ているのである。

 

 

 

 

4.主を告白している者たちは、金の胸板を与えられている

 

 

(黄金の心臓と銀の心臓、また銀の剣について)

霊界日記4732

 

 善良な霊たちは未だ天使とはなってはいないような者である、なぜなら彼らは悪霊らとしばしば接触しないわけにはいかず、悪霊らは絶えず悪を生み出そうと企てているからである。こうした悪霊らの数は非常に大きく、彼らが生み出す悪は、種族と種類の点では無数である。善良で、内的には天使である者たちは彼らに胸版を与えているが、それは、いわば、金で作られた、大きな形の心臓である。悪い者、または強盗が彼らに会い、彼らがその衣服をかたえに引き寄せて、その金の心臓を見せると、その強盗らは敢えていかようなことも為そうとはしない。主を告白している者たちは、金の胸板を与えられているが、しかしそれ以前に、未だ彼らが三人格を承認している間は、その胸板は銀で出来ているのである。

 

 

 

霊界日記4733

 

 彼らはまたつかが銀である剣を一振り、ベルトと共に与えられている。彼らがその剣を携えている時は、悪霊らはいかようなことも為そうとはしない。金の心臓とつかが銀である剣は内的な天使的な交わりを表象しているのである。

 

 

 

 

5.わたしの聖心の鼓動の一打ち、一打ちは、一つの霊魂を呼んでいる

 

 

ヨゼファ・メネンデス 『愛の招き』P26

 

わたしの聖心の鼓動の一打ち、一打ちは、一つの霊魂を呼んでいるのである。”(1922年10月26日)

 

 

 

 

6.心臓は肺臓を作り、他の器官を作る

 

 

神の愛と知恵410

 

解剖学上の観察によるとまた、心臓は単独で働きながら、肺臓を形作り、またその肺臓の中で、その心臓が呼吸を続けることが出来るようにその肺臓を調整していることも示され、また心臓は他の内蔵と器官の中に種々の用を続けて行くことが出来るようにそれらを[内蔵と器官]を形作っていること、即ち、それは顔の器官を形作って知覚を得、運動の器官を形作って活動し、他の残りの身体の部分も形作って、愛の諸々の情愛に相応した用を現すことが示されている。この凡てから、心臓はそれが後になって身体の中で遂行しなくてはならない種々の働きのためにそのような物を生み出しているように、愛も、意志と呼ばれるその容器の中に、(前述したように)人間の形をとったその形を構成する種々の情愛のために類似の物を生み出すことを始めて示すことが出来よう。