真理の探究

 

 

マリア・ヴァルトルタ/天使館第4巻上P140

 

「生涯にわたって、真理を探究するが、それを見出すに至らない多くの人がいます。彼らは目を青銅の板で押さえながら見ようとする狂人のようで、手探りでも探すが、かえって真理から遠のき、あるいはその上、彼らの狂気の探求者を引き止め、突き落として真理を隠す狂人のようです。彼らにこれが起きるのは、かれらは真理が存在しえない所にそれを探すからです。

 真理を見出すには知性と愛を結びつけ、物事を賢い目だけでなく、善良な目で見る必要があります。なぜなら善良さは知恵に優るからです。愛する人は、常に真理へのある手がかりを持つに至ります。」

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/18章

 

好奇心にかられて、この秘跡につきせんさくすることなく、謙遜にキリストに倣い、自分の知恵を聖なる信仰に従わせるべきこと

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・18・1

 

 あなたはもし懐疑の深淵(ふち)に沈みたくないならば、この奥深い秘跡について、好奇心に駆られ、無益なせんさくをしないよう用心しなければならぬ。

 「神のみ稜威(いつ)をせんさくする者は、その光栄に圧倒されるだろう。」(格言25・27)

 神が事をなしたもうおん能力(ちから)のほどは、とうてい人間の悟り得るところではない。しかしつねに教えを受ける覚悟があって、教父たちの健全な教訓に従おうと努め、もって敬虔に、謙遜に真理を探究するのは、容(ゆる)されるべきことである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・18・2

 

 論を闘わす困難な道を捨てて、神のみ掟の平坦(たいら)で間違いのない道を行く素直な人はしあわせである。

 高遠なことをせんさくしようとしているうちに、信心を失ってしまった人も多い。

 あなたに要求されているのは、信仰と誠実な生活とである。理解の高さでもなければ神の奥義を悟る深さでもない。

 あなたはもしあなた以下の物事を知り、かつ悟らないならば、どうしてあなた以上の物事を悟ることができようか?

 自分を神に従わせ、へりくだってあなたの知恵を信仰に服従させよ、そうすれば、有益必要なだけ知識の光明(ひかり)はあなたに与えられるだろう。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・18.3

 

 信仰やこの秘跡について、ひどい誘惑(いざない)に会う者がある。けれどもこれはその人のせいではなくて、むしろ仇敵のせいである。

 心配せず、あなたの思想(かんがえ)と争ったり、悪魔の吹きこむ疑惑(うたがい)に答えたりすることなく、神のみ言葉を信じ、その諸聖人、預言者たちを信ずるがよい、そうすれば佞姦(ねいかん)な敵もあなたから逃げ去るだろう。

 こういうことに会うのは、しばしば神のしもべである人々にとって、非常にためになる。

 なんとなれば、悪魔は、信仰のない者や罪人などはもう間違いなく自分のものなので、誘惑しないが、信仰のある者や敬虔な人は、さまざまに誘惑し、これを悩ますからである。

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・18・4

 

 だからすなおな疑わぬ信仰をもって進み、へりくだってうやうやしくこの秘跡に近づくがよい。そしてあなたの悟り得ぬことは、すべて全能なる神に安心してお任せせよ。

 神は決してあざむきたもうことがない。あざむかれるのは、自分というものをあまりに信じすぎる人である。

 神は純真な者とともに歩み、謙遜な者にご自分をあらわし、小さい者に理解を与え、心の潔い者に知識の門を開き、好奇心に駆られる者高慢な者にはその恩恵をおかくしになるのである。

 人間の理性は弱いからあざむかれることもある。しかし真の信仰はあざむかれることがない。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/4・18・5

 

 理知や自然の研究はすべて信仰に従うべきもので、それに先だったり反対したりすべきものではない。

 なんとなれば、この世では信仰と愛とが最もすぐれており、このいとも聖なる、いとも尊き秘跡において人知れず働くからである。

 永遠、無量、能力無限の神は天地の間に偉大不可思議のことを行いたもう。その驚嘆すべきみ業は、とうてい究めることなどできない。

 神のみ業が人間の知恵で、たやすく悟られるようなものであるならば、それは不思議とも、言語に絶するとも、言われぬであろう。