真のキリスト教徒

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.サンダー・シング

3.スウェーデンボルグ

4.ヴァッスーラ

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P110

 

 ああ、サタンと肉の罠、復讐、この地上の闘争が永遠に終わりを告げるだろういとも幸いなるその日! わたしの教会はそのとき真のキリスト教徒で構成されるだろう。その時は、つまり最後の日の前日だ。真のキリスト教徒は初めのように数少ないが、初めのように聖なる人々であろう。教会は神聖のうちに始められたように、神聖のうちに終わるだろう。埒外には、嘘つき、裏切り者、偶像崇拝者が残るだろう。最後の日にユダを真似て、キリストの神秘体に損害を与え、サタンに魂を売る連中だ。彼らのうちからは彼の最期の戦争の補佐役を募るだろう。

 そしてこれら最後の日々、エルサレムにいて、このような罪を犯す者は災いである。エルサレムにおいて人間的な利益のために彼らの権威を利用する人々は災いだ。兄弟たちを見殺しにし、に飢えた霊魂のためにわたしが委託したパンである御言葉を用いるのをなおざりにする人々は災いだ。災いだ。を公然と否認する者と、事業をもってを否定する者とのあいだにわたしは区別をもうけないだろう。まことにわたしは、崇高なる創立者の苦悩をこめて、あなたたちに言う、最後の時に際して、わたしの教会に属する四分の三の人々はわたしを否認するだろうし、わたしは彼らを不浄な病気によって腐敗し、死んだ枝のように木の幹から切り落とさねばなるまい。

 しかし、わたしのうちにとどまるあなたたちはキリストの約束に耳を傾けなさい。忠実と愛をもってわたしを待ちなさい。そうすればわたしは、わたしのすべての贈り物をたずさえて、あなたたちを訪れる。それは贈物のなかの贈物、すなわちわたし自身だ。贖い、治療をしに来るだろう。闇を照らし、闇に勝ち、闇を追い払うために来るだろう。人間たちに永遠の、いと高き主、聖なるキリスト、聖霊を愛し礼拝することを教えに来るだろう。平和の永遠の破壊者である現世の平和ではなく、滅びることのない神の国平和をもたらすために来るだろう。

 忠実なしもべたちよ、よろこび躍れ。あなたたちにそのことを告げる口は偽らない。もうどんな悪も恐れる必要はない。なぜならわたしは悪の時に終止符を打ち、わたしが祝福した者たちを憐れみ、この終わりを早めるつもりだからだ。

 とりわけ今、わたしが愛する人たちよ、よろこび躍れ。あなたたちのために、わたしがもっと早めるのはキリストの来臨とその栄光の抱擁だろうから。神の国の扉はすでにあなたたちに開かれており、あなたたちを迎え、真の生命を与えるためにあなたたちの救い主はそこから出て来るだろう。

 もう少し時がたてば、わたしはあなたたちのために来るだろう。わたしの友ラザロのためにしたように、わたしはあなたたち一人一人に『外に出なさい!』と呼びかけるだろう。肉のなかに閉じこめられた霊魂にとっては墓にほかならない地上の生の外に出るのだ。外に。生命へとの自由へと。

 あなたたちの忠実な愛を込めてわたしを呼びなさい。その愛は肉の鎖を溶かす火炎となり、わたしのもとに速やかに来るための自由を霊魂に与えるだろう。人によって書かれたもっとも美しい叫びを上げなさい。『イエズスよ、来てください!』。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P129

 

 人間は最後の時間に向かってその歩みをすすめながら霊性に到達しなければならない。だがここでわたしの言うことを理解しておくように。は霊であり、サタンは霊である。前者は完全である。後者は罪の霊である。が尊重する人間自らの意志によって二分された大衆は、自分が選んだ陣営にそれぞれ帰属する。いと高き者の子供たちとわたしの兄弟たちはの陣営を選び、わたしたちの愛によって肉を霊化する。サタンの従者たちとの子たちは、ルシフェルの陣営を選び、自分たちが欲した隷属によって、肉的なものの支配のもとに霊的なものを殺し、彼らの霊を腐敗したおぞましい肉と血にしてしまう。

 今は各個人であるが、その時は真のキリスト者の全大衆となるであろう。あの成熟に到達した霊たちにわたしが君臨するであろう時、そのときわたしは、変わりえないという意味において異質ではない、新しい福音宣教をもって、きょうは理解できないとしてもその時には理解出来るであろう力のうちに、最後の教化で完全にするために、この陣営にのみ目を向けるだろう。それが辛かろうと、自らの努力によって、あるいは愛の奇跡によって、それにふさわしい者となった特別な人々をわたしは選ばなければならない。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P158

 

29すべては神に回帰する(ハガイ書1と2)

‘43年12月2日

イエズスは言われる。

「人間は、自我と自然的なものに身を委ねるために、と超自然的なものから離れる時、常に彼自身のために、自然的なものさえも所有する幸福を減らしてきた。

 一番最初に消滅するのは人生の紆余曲折のなかで彼を強くする安心と平安ともなる超自然的なよろこびである。なぜなら人間はたとえ砂漠のなかにいても、あるいは廃墟のなかにひとり取り残されても、孤独を感じないですむからだ。というのも彼は、自分の上と自分の周辺に一人のの愛と非物質的だが、彼の霊的感覚を敏感に察知できる諸々の力の現前を感じるからである。このようなよろこびの状態にある人々は幸いなるかな! 彼らは永遠の豊かさを所有しているのだ。

 

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P353

 

数か国回ってわかったことは、キリストを受け入れている人々は、どんな困難やもめ事があろうと幸せに生きているということ、またキリストから離れている人は、どれほど富や物を所有していても、心の平和がないということです。真のクリスチャンは掘っ立て小屋に住もうと宮殿に住もうと幸せですが、名ばかりのクリスチャンは、たとえ宮殿に住もうとも、どん底の暮らしをしている真のクリスチャンの平和と幸せさえもてません。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P427

 

キリスト教が欧米でも東洋でも失敗したというのは全くの誤りであり、このような考えは何ら経験に基づくものではない。失敗したのはキリスト教ではなく、キリスト教の精神を理解できなかった者たちが誤ったのである。わたしが欧米、そして東洋を旅してわかったことは、人々が職場や研究所、図書館であまりに忙殺され、キリストから祝福を受ける時間をもてずにいるということだった。あまりに生活を複雑化しすぎ、すっかり疲れてしまっている人々もいた。食べずに餓死し、飲まずに渇死する人がいたとして、食物が悪かった、水が悪かったといえるだろうか。これは、純然たる人間の側の無関心と怠慢によるものだ。

 人が手元にある薬を飲まなかったがために死んだとしても、それは薬が悪いのではない。キリスト教を心から受け入れ、その祝福を受けた人々が、世界を眠りから呼び覚まし、人類救済のために働いてきたことは明らかである。その成果は永遠に失われることはない。

 

 

 

 

徳間書店/林陽編訳/サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P192

 

キリストとは、生けるキリストである。墓は、二千年間開かれたままである。わたしの心もまた、キリストに開かれている。主はわたしの中に生きている。主は生けるキリストである。キリスト者の人生の中に生きているからだ。キリストを語る者ではなく、キリストを所有する者こそ、真のキリスト者である。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P298

 

 サンダー・シングの友A.J.アパサミー博士はこう書いている。「サードゥーは、霊界での経験のいくつかを話してくれた。あるとき、天界にはどれくらいの数のローマ・カトリック信徒がいるのかと彼はたずねた。すると、『一人もいない』との答があった。では、英国国教会の信徒はときくと、やはり『いない』と答を返された。彼は次に、メソジストは何人いるのか、バプテスト、プレスビテリアンは何人いるのかとたずねたが、やはり『一人もいません』と言われた。すっかり当惑し、驚いた彼は『では、ここにいる人々は誰ですか』とたずねた。『全員キリスト者です』との答が返ってきた」

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P134

 

 わたしはまた、聖餐と洗礼をも信じています。クリスチャンはみな、この秘蹟に関して主ご自身がお定めになったことに、従わなければなりません。それらは、大きな祝福の手段となるからです。聖変化によってではありません。信仰によってです。わたしは、どの教会でも聖餐に与っています。

 

 

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

 

真の基督教525

 

しかし、それは、人間が自らの知識を自個点検のために用い、或る特殊の罪を発見し、かくして自らに「これは罪である」と語り、永遠の刑罰を恐れてこれから遠ざかる時は全然異なってくる。その時始めて教会に聞かれる教訓は、注意深く傾聴され、心に受け入れられ、その人間は異教徒から基督教徒になるのである。

 

 

 

真の基督教668

 

洗礼が命ぜられたことは、ヨハネがヨルダンで洗礼を授け、そこへユダヤとエルサレムの凡ての人々が出かけて行ったことによって明白である(マタイ3・5、6。マルコ1・4、5)。我々の救い主なる主もまた自らヨハネから洗礼を受け給うた(マタイ3・13−17)。さらに主はその弟子達に凡ゆる国人に洗礼を授けることを命じ給うた(マタイ28・19)。明らかにこの制度の中には神的な物が在り、それは聖言の霊的な意義が知られなかったために、現在まで隠れていたのである。しかしこの意義は現今啓示されたのである。何故なら、真の基督教会は今始まりつつあり、前の教会は単に名目のみの基督教であり、事実のそれではなかったからである。

 

 

 

真の基督教699

 

 凡て真の基督教徒は洗礼と聖餐は礼拝の最も聖なる物であることを認める。

 

 

 

真の基督教700

 

 このような考えが現今基督教国に遍く抱かれているのは、偏にそれが聖言の文字的な意義に一致し、而して霊的な意義が―その意義においてのみ聖餐の用がその真の光の中に見られるのである―現今まで明らかにされなかったためである。この意義がいまや初めて明らかにされたのである。それは基督教は現今に至るまで名前以外のものではなかったからである。何故なら人々は内に神的三一性を宿す唯一の神として直接主に近づかず、また彼を礼拝せず、単に間接的に彼に近づき礼拝したに過ぎないからである。これは主に近づき主を礼拝することではなく、単に主を人間に対する救いの原因として尊崇することに過ぎない。これは本質的な原因ではなく媒介的な原因であり、本質的な原因の下位にあり、その外部に在る。しかし真の基督教は明け初めている。而して黙示録の新エルサレムによって象徴され、父なる神、子、聖霊はそれが一人格の中に在るが故に一つとして認められている新しい教会を、いまや主は設立し給いつつあるのである。それ故、この教会は洗礼と聖餐なる二つの秘蹟の真の用と益とを受けるために、主は聖言の霊的な意義を示すことをよしとし給うた。この用と益とは人が理解を以てまたは霊の眼を以てその中に含まれている聖さを認め、これを主がその聖言に於て教え給うたように受ける時、受けられるであろう。

 

 

 

天界の秘義3010

 

『キリスト』は真理の神的なものを意味している。ここから基督教徒とは何であるかが、すなわち、それは善から真理の中にいる者であることが明白である。

 

 

 

霊界日記1246

 

さらに、彼らは地獄にいるため、彼らは、彼らに何らかの危害が加えられるよりは、むしろ憐れまれねばならないのである。なぜならもし私が、仮にも彼らに話してはならないとするなら、またはある霊魂たちが身体における生活から身につけてしまった言い方で彼らに突っけんどんな事柄を話すとするなら、彼らはさらに苦しみを覚えるからである。そのことは慈悲と仁慈に反するであろう、なぜなら悪魔にすら善かれと願うことがキリスト教であるからである。

 

 

 

霊界日記5063(第8巻)一部

 

私はさらに彼らと話して以下のように言った、真のキリスト教は以下のことから成っているのである、すなわち、人間は隣人に対する仁慈の中に生きなくてはならないのであり、すなわち、誠実で、公正で、正直でなくてはならず、かくて誠実と公正と善いこととをそうしたことのために実践しなくてはならない、そうしたことは主御自身から発しているからには、主の神的なものがそうしたことの中に在るため、そうしたことを神的なものとして認め、尊重しなくてはならない、と。そのことをまた彼らは知っているのである、なぜなら彼らは以下のように言うからである、すなわち、自分たちのもとには上から、すなわち、神から来ているもの以外には善いものは何一つないのであるが、かくて彼らが基督教徒であるか、否か、の問題は生命の善〔生活の善〕から考慮されなくてはならないのである、と。さらに、私は言った、真の信仰は必ずしも不一致〔意見の相違〕を生み出しはしないのであり、実情はそうしたものでないことはキリスト教が腐敗した状態におかれているためである、と。(中略)

彼らはキリスト教徒がかくも愚鈍であることを怪しんで、自分たち自身その二つの点は知らない、と言った。私が、聖言から来ていて、教会の真の教義のものである色々な事柄について彼らと話した際、彼らはその事柄から聖いものを知覚するようになったのである。

 

 

 

 

4.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/天使館/ランプのあぶら/花むこから花嫁への呼びかけ/P141

 

 神は、どの人も自分の心の蓄えの中からこれらのメッセージを判断するとおっしゃっています。神のみことばはすべてが正しく、理解する人は素直に受け入れ、単純な清い心の人には悦びとなりますが、ジャッカルたちにとっては物議をかもしだす侮辱と映るでしょう。真実のクリスチャンとは内面がクリスチャンの人であり、まことの一致は心のうちになされ、これからもそうであろうと言っておられるからです。一致は文字によらず、霊のうちになされるのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P167

‘01.5.2

 

「主の僕は口論に従事せず、誰にたいしても親切でなければならない。」