死後の霊魂たちは、反省が与えられない限り、自分らが他生にいることを知らない

 

1.死後の霊魂たちは、反省が与えられない限り、自分らが他生にいることを知らない

 

 

1.死後の霊魂たちは、反省が与えられない限り、自分らが他生にいることを知らない

 

(死後の霊魂たちは、反省が与えられない限り、自分らが他生にいることを知らないことについて)

 

霊界日記1903

 

霊魂たちは、身体の生命の中で持っていたものは何一つ失いはしないことが凡ゆる所に確言されていることが認められるであろう、かくて彼らは自分らが他生にいることを知りもしないし、また知ることも出来ないで、世にいると考えるのである。なぜなら彼らは記憶の中に貯えられている事柄により掻き立てられるかの反省を持たないし、また記憶の中に在るものも幾多の対象によらなくては掻き立てられもしないし、対象は共に交わっている者たちによらなくては提示されもしないからである。自分が他生にいるという反省もまた与えられはするが、しかし主により与えられるのである。

 

 

 

霊界日記1904

 

更に、反省がなくては彼らは自分らが他生にいることを知ることは出来ないことは反省の性質から明らかとなるであろう、なぜなら人間は対象の距離を間に介在するものを反省しなくては知りはしないし、また時間も同じ方法によらなくては判断することは出来ないからである。更に他の多くの物についても同じである、なぜなら反省することにより人間は何かの物の性質と量を知ることが出来るからである。1748年[60歳]5月7日

 

 

 

霊界日記1905

 

霊たちと天使たちとの反省は如何ような性質のものであるか、またそれは如何ような主題に対して行われるかを話すとなると果てしはない、なぜなら反省がなくては生命はないからである。

 

 

 

霊界日記1905イ

 

反省が与えられたことにより、霊たちは、時折告白したことではあるが、私を通して見たのである。彼らが幾多の対象について反省しなくてはならないことが私に与えられたときは常に、彼らは以下のように告白したのである、即ち、自分たちは、その対象を、それが人間の間に見られているままに、見たのであるが、しかし私を通してのみ見たのである。それで、人間は自分自身が霊たちにより支配されている[治められている]ことを全般的には信じてはいないからには、こうした反省は彼らには与えられることは出来ない、それで霊たちは人間を通しては見ないで、ただその内部を通してのみ知るにすぎないのである。そのことは極めてしばしば私に明らかにされたのであり、それで霊たちは想念の中に、また思考の中に在るもののみでなく、世に在る各々個々の対象をも見ることが出来たのである。心の門がこのように天界に向って開かれている間に、一種の連続した反省が与えられ、そこから霊たちが人間と交流することが出来、またそこから彼らは自分たちは、そのもとにいる自分たちがいるその人間ではないことを知りもするのである。