主体をはなれては存在できない
天界の秘義3305
自然的なものの真理の生命の善及び自然的なものの真理の教義と言うも、またはこれらのものの中にいる者たちと言うも、それは同じことである、なぜなら生命の善と真理の教義とはそれらのものの主体をはなれては存在することはでいないからである。もしそれらのものに主体がないなら、それらは一種の抽象的な事柄であるが、それでもそれらはそれらがそのうちに宿ることのできる人間に関連しているのである。それで『ヤコブ』によりここでは自然的なものの真理の教義の中にいる者たちが意味されているのである。
天界の秘義3305[3]
それで『ヤコブ』によりその内意では自然的なものの真理の教義が意味され、またはそれと同一のことではあるが、いかような国民のものであっても、この教義の中にいる者たちが意味され、その最高の意義では主が意味されていることが、以下の記事から明白である。