祝宴・晩餐
1.共に住むこと
2.誕生日
3.ヴァッスーラ
1.共に住むこと
天界の秘義2341
「かれらはかれらに食事[祝宴、宴]を備えた」。これはともに住むことを意味していることは『宴[祝宴]』の意義から明白である。祝宴はしばしば聖言に記されていて、内意では共に住むことを意味している、たとえばエレミア記には―
エホバの言葉がかれにのぞんだ、あなたは宴をはっている家に行って、彼らとともに坐り、飲み食いしてはならない(16・8)。
ここにはいくたの事柄がその予言者に言われているが、その事柄によりかれは善が悪と些かも交流してはならない、また真理も誤謬と交流してはならないという事実を表象しなくてはならないのであって、とくにかれは宴をはっている家に入ってはならないと言われているが、そのことにより善と真理とは悪と誤謬とともに住んではならないことが意味されたのである。
[2]イザヤ書には―
この山に万軍のエホバは肥えた物の宴を、美味しいぶどう酒の宴を、髄に満ちた肥えた物の、良く精製されたぶどう酒の宴を凡ゆる民に催されるであろう(イザヤ25・6)
ここでは『山』は主に対する愛を意味している(795、1430番)。この愛の中にいる者たちは善と真理の中に主とともに住むのであり、そのことが『宴[祝宴]』により意味されているのである。『髄に満ちた肥えたもの』は善であり(353番)、『美味で』『精製されたぶどう酒』はその善の真理である(1071番)。
[3]ユダヤ教会では生けにえが捧げられたさい、その聖められたものから行われた宴[祝宴]は、主が生けにえにより意味されている愛の聖いものの中に人間のもとに住まわれること以外には何ごとをも表象しなかったのである(2187番)。それと同じことが後に、原始教会で宴[祝宴]と呼ばれた聖さんにより表象されたのである。
[4]創世記の21章にアブラハムはイサクが乳ばなれをした日に大きな祝宴をはったと述べられているが(8節)、そのことにより主の神的なものが主の人間的な合理的なものとともに住んで、それと初めて連結したことが表象され、また意味されもしたのである。内意ではそれと同じことがまた他のところで『宴』により意味されているのであり、そのことはまた以下の事実から推測することができよう、すなわち、祝宴は、愛と仁慈の中におり、精神的に自らをともに連結させ、互いに愛と仁慈の情緒である良い感情を分け合っている多くの者たちの交わりの中に設けられるのである。
天界の秘義2371[4]
あなたが饗宴または晩餐を行うときは、友も、兄弟も、親類も、富んだ隣人も呼んではならない、かれらが恐らく返礼としてあなたを呼んで、報酬をあなたに払うことのないためである。しかしあなたは祝宴を催すときは、貧しい者と不具者と(足なえと)盲人とを呼びなさい、そのときはあなたは祝福されるでしょう、なぜならかれらにはあなたに報いるものがないからである、あなたは正しい者の甦りのときに報いられるであろう(ルカ14・12−14)。
『饗宴』『晩餐』または『宴[祝宴]』は、仁慈の善を意味しており、その中に人間のもとで主が住まわれる所が存在しており(2341番)、それで善それ自身の中に主がおられるため、報酬はその中にあるとここに記され、また明らかにされているのである、なぜなら『あなたは正しい者の甦りのときに報いられるであろう』と言われているからである。
天界の秘義3596[2]
『かれはわたしに持ってきました、わたしはあなたが来る前にみな食べてしまって、かれを祝福しました、まことに、かれは祝福されるでしょう』。言及されたその理由は古代教会の祭儀の内意から明らかである、なぜならかれらのもとでは食べることは所有すること[己がものとすること]と連結を意味したからであり、すなわち、その者とともに―その者とともにまたはその者のパンをかれらは食べたのであるが、その者とともに―連結することを意味したからである。食物は全般的には愛と仁慈とにぞくしているものを、すなわち、天的な霊的な食物と同一のものを意味したのであり、パンは主に対する愛にぞくしているものを、ぶどう酒は隣人に対する仁慈にぞくしているものを意味したのである。これらのものが所有されたとき、その人たちは連結し、かくてかれらは情愛から互に語り合い、共に交わったのである。古代人のもとでは祝宴はそれ以外のものではなく、またそれ以外のものは何一つユダヤ教会の中ではかれらが共に聖い物を食うことによっては意味されなかったのであり、またそれ以外のものは原始基督教会の中でかれらの正さんと晩さんとによっても表象されはしなかったのである。
天界の秘義5943[7]
『祝宴』は天界を、またそこで愛と仁慈とを通して天使たちと連結することを意味し(3596番、3832、5161)、『肥えたもの』は愛と仁慈との善を意味している。
2.誕生日
天界の秘義5161
古代ふるまい[宴、うたげ]が色々な理由から設けられたが、それにより相互愛へ徐々に導入され、かくて連結することが意味されたのである。それはまた誕生日にもうけられ、そのときは新しく生まれたことを、または再生を表象したのであり、それは愛を通して人間の中に内的なものが外的なものと連結することであり、従って天界が人間の中に世t連結することである、なぜなら人間の中の世的なもの、または自然的なものがそのとき霊的なものと天的なものと連結するからである。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P114
‘00・8・5
我が晩餐を 甘美なものにしてほしいか? 長年与えてきたこの晩餐を? あなたの愛をますます活き活きとさせ まこと愛する者よ、あなたを安心させて癒すため 私の甘美をさらに授けようか? 癒しそのものが 英知からやって来る・・・・
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P115
‘00・8・5
大いなる高貴な晩餐によって 我が聖なるメッセージを通し 私はあなたとほかの人びとを 満足させた。私は この悪に染まった時代のために 不思議中の不思議を準備し、皆が来て それを味わう許しを与えた。私の晩餐を味わうことは、神なる創造主の、私を味わって、私を理解すること。