主をたたえる

 

 

 

 

天界の秘義1422[2]

 

古代人の間では、『エホバを、または主を祝福する[ほめたたえる]』は聖言から明らかなように、一つの定まった形式の言葉であったのである。かくてダビデの書には―

 

  もろもろの集会の中で神を、イスラエルの基礎から主をほめたたえよ[祝福せよ](詩篇68・26)。

 

 さらに―

 

  エホバにむかって歌え、その御名をたたえよ[祝福せよ]、その御救いを日々のべつたえよ(詩篇96・2)。

 

 ダニエル書には―

 

  そのときその秘密は夜の幻の中に明らかにされた、それでダニエルは諸天の神をほめたたえて[祝福して]、言った、神御自身の御名は永遠にほめたたえられよ[祝福されよ]、知恵と力とは神のものであるからである(2・19、20)。

 

 

 ザカリアとシメオンについてもまたかれらが『神をたたえた[祝福した]』と記されているのである(ルカ1・64、2・28)。ここに『主をたたえること[主を祝福すること]』は主に向って歌うことであり、主の救いの良い音づれをのべつたえることであり、主の知恵と力とを説くことであり、かくて心から主を告白し、承認することであることが明白である。このことを行う者たちは主から祝福されないわけにはいかないのであり、すなわち、祝福にぞくしたものを、すなわち天的な、霊的な、自然的な、世的な、形体的な善を与えられないわけにはいかないのであり、これらのものが、こうした順序[秩序]をもって互に他のものに続いている時は、それらは内に幸福を宿した善である。

 

 

天界の秘義1423

 

 「あなたを呪う者を呪うであろう」。これは主を承認しない者らの不幸を意味することは、『呪われること』と『呪うこと』の意義から明白であり、それは前に言ったように(245、379番)、自分を主から遠ざけることであり、従って主を承認しないことである、なぜなら承認しない者らは自らを遠ざけるからである。かくて『呪うこと』はここでは『祝福』に含まれていることに反した凡てのことを含んでいる。