主の権威
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P430
キリストの教えはまったく他に類をみない、独特のものである。そこで、主が他の教師や宗教から霊感を借用したというような話は、太陽は独自の光をもっておらず、月のように、他の太陽や惑星からくる光を反射しているにすぎないというに似ている。主が教えを説かれたときの権威が何よりその独自性を物語っている。また、主が他の情報源から教えを説く場合には、例えば山上の垂訓の所でされたように、はっきり引用箇所を示すのが常であった。主は、旧約聖書にふれながら、「昔の人々に・・・といわれているが、わたしは・・・という」と、独自の解釈をする権威を示された(マタイ5・21−22)。。
また、あのような偉大な教えを説いたのは自分のためだった、というのも間違っている。キリストの生涯はすべて、人のために使われたのである。十字架が何よりそれを物語る。この世の名誉を欲していたならば、十字架を逃れ、人々の期待通りに王となることもできた。だが、主ご自身もいわれている通り、主の王国はこの世にはなかったのである(ヨハネ6・15、18・36)。主が世界に来られたのは、実在を世に現わすため、自らの生命を捨てることによって、信じる者たちに永遠の生命、神の国に入る権利を与えるためであった。