職人における仁慈
仁慈の教義168
職人における仁慈。職人により色々な種類の職工と技術人とが意味されている。もしかれらが主を見上げ、悪を罪として避け、その仕事を誠実に、公正に、忠実に行うなら、かれらは、各々その仕事を愛し、そのことにおいて勤勉であるに応じて、仁慈の形となるのである。
なぜならかれらの仕事は隣人に種々の必要なもの、また役に立つもの[用]に対し、例えば、食物、衣服、住居、庇護、維持、快楽に対し、その他多くの方法で役立つ用の善であり、共和国の利得となるものであるからである。たれでもその業と労働に、それを愛して、その心を注ぎ入れるなら、かれは、それにかかわる情愛と思考との方面で、その中におり、その中にいるに応じて、虚栄を考えてそれを愛することから遠ざけられ、後には主に導かれて善を考え、それを愛するようになり、また善に至る手段を―それは真理であるが、その真理を考え、愛するようになるのである。
何ら仕事に自らを用いない者はそうではない。主を見上げて、悪を罪として避ける者はことごとく、怠惰を、それが悪魔の枕であるため、避け、不誠実と詐欺とを避け、ぜいたくと不摂制[放縦、度をすごすこと]を避けるのである。かれは勤勉であり、誠実であり、冷静であり、自分の運命に甘んじ、自分自身のために働きもするようにその隣人のために働くのである、なぜならかれはその仕事を為すことにおいて自分自身と隣人とを同程度に愛するからである。