宣教

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マルコ1・35−39

 

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所に出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 

 

 

マルコ6・12

 

十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義1422[2]

 

 古代人の間では、『エホバ』をまたは『主』を祝福する[ほめたたえる]は聖言から明らかなように、一つの定まった形式の言葉であったのである。かくてダビデの諸には―

 

 もろもろの集会の中で神を、イスラエルの基礎から主をほめたたえよ[祝福せよ](詩篇68・26)。

 

さらに―

 

 エホバにむかって歌え、その御名をたたえよ[祝福せよ]、その御救いを日々のべつたえよ(詩篇96・2)。

 

ダニエル書には―

 

 そのときその秘密は夜の幻の中に明らかにされた、それでダニエルは諸天の神をほめたたえて[祝福して]、言った、神御自身の御名は永遠にほめたたえられよ[祝福されよ]、知恵と力とは神のものであるからである(ダニエル2・19、20)。

 

 ザカリアとシメオンについてもまたかれらが『神をたたえた[祝福した]』と記されているのである(ルカ1・64、2・28)。ここに『主をたたえること[主を祝福すること]』は主に向って歌うことであり、主の救いの良い音づれをのべつたえることであり、主の知恵と力とを説くことであり、かくて心から主を告白し、承認することであることが明白である。このことを行う者たちは主から祝福されないわけにはいかないのであり、すなわち、祝福にぞくしたものを、すなわち天的な、霊的な、自然的な、世的な、形体的な善を与えられないわけにはいかないのであり、これらのものが、こうした順序[秩序]をもって互いに他のものに続いている時は、それらは内に幸福を宿した善である。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P125

‘00・9・28

 

今の世代に このことを教え続けるのです。 行って 私のわざを宣べ伝えなさい この世代が私に心を開き、私もまた、この世代に向って美徳の門を 開けるよう。 教会を護る羊飼いに叫んで こう尋ねなさい、「私たちの主の甘美と全善を どなたか味わった方はいらっしゃいますか? 教会に 神の知識に秀でた方が どなたかいらっしゃいますか?」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P142

‘00・12・31

 

上から見る全てに我が霊は 打ちひしがれる。 悪を行う者は私の目を逃れることはできない 兄弟に向って夜のしじまに「復讐」を叫び、夜昼となくわめき立てる者も・・・・ああ、ヴァッスーラ、私の言葉があなたを通してこだまするように。 善人 悪人を問わず、誰にでも伝えなさい:

「私は 天より声を響かせている。善人 悪人を問わず、誰にでも聞こえるように 大声で叫ぶ。 そう、実に、私の声は世界の果てにまで達した。 善人も悪人も同じように 悔い改める必要がある。 善人は我が意思を正確に行わなかったゆえ そして正しい仕方(*)で祈らないために。 ― 彼らの多くは口先だけで私に近づいて来る。 悪人たちは、心を頑なにし 私にも我が掟にも関心がないため 大罪を犯している。」

 

*霊魂が謙虚でないと、祈りの中でする願いは聞かれないでしょう。霊魂が謙虚であればあるほど、神の注意をひき 祈りが聞かれます。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P179

 

この言葉を、善人悪人問わず誰であろうと 伝えに行くようにと、娘よ、言ったであろう:

 

「私は天より 声をとどろかせる。 善人悪人を問わず、皆が私の声を聞くようにと 大声で叫ぶ。 実に私の声は世界の果てまで届いた。善人も悪人と同様 悔い改めなければならない。 善人は 私の意思を正確に行わず また正しい祈り方をしなかったため。 多くは口先だけで私に近づいて来る。 悪人は、心が頑なで私に無関心なため 執拗に大罪を犯してきたがゆえ。」

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P275

‘03・1・6

 

では今や、娘よ、国たみのもとに行って宣べ伝えなさい あなたのために行ったすべてを、そしてあなたの見たこと一切を、そして私がまず あなたの罪をどのように取り除いたか、また どのように絶妙な仕方で私に娶らせたかを。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P276

‘03・1・6

先にも言った通り、行きなさい、我が王者の富に養われた者たちよ そして国たみに 我が王国を宣べ伝え すべての栄光住まう救い主は 私だと宣言しつづけなさい。 ほかの誰でもなく私が あなたの贖い主だと。 行って 灰たちに宣べ伝え それらを金に変えなさい こうして、彼らが 光である、私のうちに自由を見いだすように。 行って伝えなさい あなた自身がどう捕らえられ 鳩として檻に入れられたかを、そして私がいかに、手厚い慈悲をもって訪れ 檻を壊して自由の身にさせたかを。 あなたを悪霊から解き放って聖別し 額には我が口づけの油を注いで、我がものとして封印した・・・行って、私の名によって、民を慰め 励ましなさい、我が庭園を美しく整え、救いの真の知識を彼らに与えなさい。 我が聖櫃の心を美しく飾るように。

 

あなたの生涯のどの日も、世代よ、我が恵みは現われ出ている そして私および隣人と和解もたらすよう 私が全人類の上に輝くと同じように、彼らも 私に耳を傾けさえするなら 人びとの間で輝くだろう。 私はあなたを解放した者、我がヴァッスーラ、そしてこれらの頌歌を通してあなたや ほかの者たちも同様に花咲かせた、ちょうど水辺に咲く薔薇の花のように、そして聖書でもこう言っている、「香のような甘い薫りを放ちなさい、百合のように花咲かせなさい、まわり中に香りを放って、讃美の歌をうたい、私が行った神聖なわざすべてのゆえに 私を祝福し 我が名の偉大さを宣べ伝えなさい!」

 

これが あなたに与えた仕事。 私の名によってこの一切を行うに当り 恐れないように 私はあなたと結ばれているゆえ。 人生のどの瞬間にも 愛が共にいて あなたに味方している。

一つとなるように。

         私は在る(I Am)