選別
1.スウェーデンボルグ
2.マリア・ワルトルタ
3.聖母から司祭へ
マタイ3・11−12
その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。
マタイ7・19
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
マタイ13・30
刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。
マタイ13・47−50
また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
マタイ24・36−42
その日、その時はだれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのはノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
1.スウェーデンボルグ
天界の秘義2321
審判は主の神的な人間的なものと発出している聖いものに属しているという事実については実情は以下のようである、すなわち、主が世に来られて、その神的な本質をその人間的な本質に結合されなかったならば、もはや人類は救われることができなかったのである、なぜなら主の人間的なものが神的なものになされなかったなら、救いはもはや人間に到達することはできなかったからである(1990、2016、2034、2035番)。主の人間的なものから発出している聖いものそれ自身は悪い者を善い者から分離するものである、なぜなら悪い者は主の聖いものには近づくことはできないので、各々自分の中にある冒瀆性に応じて、そこから自分の地獄へ逃げ去って行くほどにも、それを恐れ、またそれにふるえ上がっているからである。
天界の秘義2405[3]
サムエル書には―
イスラエルの神は朝の光のようである、陽は登り、雲のない朝、その輝きから、その雨から地から作物が生まれる(サムエル後23・4)。
「イスラエルの神」は主を意味している、なぜならそれ以外のイスラエルの神はその教会には意味されなかったのであり、主はその各々のまたすべてのものの中に表象されたもうたからである。ヨエル書に―
エホバの日が来る、それは切迫しているからである、暗黒と暗闇の日、雲と不明の日、山々の上に拡がった夜明けのように(ヨエル2・1,2)。
ここにもまた主の降臨とその王国がとり扱われており、そのときここにロトがソドムの男らから分離されているように、善良な者が悪い者から分離され、善良な者が分離された後、悪い者が滅びるため、それは『暗黒と暗闇の日』と呼ばれている。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P6
すでに言ったことだが、繰り返して言おう。『これは天と地獄との戦いなのだ』。あなたたちは偽りの風除けにすぎない。あなたたちの隊列の背後では天使たちと悪魔たちが闘っている。あなたたちの動機の背後には、キリストに立ち向かうサタンとの闘争というほんとうの理由がある。
これは、選ばれた人々の取り入れを、見放された人々の取り入れから分けるための最初の時に近づいた、人類の最初の選別の一つである。しかし残念なことに、選ばれた人々の取り入れは見放された人々のそれに比べると少ない。
キリストは、永遠の敵対者の預言者に打ち勝つために再臨するだろうその時、十字架によって目印をつけられた霊魂をわずかしか見出さないだろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P15
あなたたちが情け容赦しない選別のために集められる最期の時まで、わたしはわたしの不運な子供たちを否認はしないし、また彼らを救おうと試みる。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P29
さしあたり、選別を行うのはわたしではない。あなたたちを自発的に選別するのはあなたたち自身だ。恐怖に耐えて、神が常に神であることを、つまり善と正義であること、また救いが神の律法の遵守にあることを理解する人々は、これらの真理を否定する人々とは袂を分かつ。前者は光と出会うために上昇し、後者は闇に向かって墜落する。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P104
飢饉と疫病による大量死は、わたしの再臨の前兆である。あなたたちを罰し、あなたたちを神のもとに呼び戻すために創られた懲らしめは、その苦痛を与える力をもって神の子らとサタンの子らとの選別の一つを行うであろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P110
ああ、サタンと肉の罠、復讐、この地上の闘争が永遠に終わりを告げるだろういとも幸いなるその日! わたしの教会はそのとき真のキリスト教徒で構成されるだろう。その時は、つまり最後の日の前日だ。真のキリスト教徒は初めのように数少ないが、初めのように聖なる人々であろう。教会は神聖のうちに始められたように、神聖のうちに終わるだろう。埒外には、嘘つき、裏切り者、偶像崇拝者が残るだろう。最後の日にユダを真似て、キリストの神秘体に損害を与え、サタンに魂を売る連中だ。彼らのうちから獣は彼の最期の戦争の補佐役を募るだろう。
そしてこれら最後の日々、エルサレムにいて、このような罪を犯す者は災いである。エルサレムにおいて人間的な利益のために彼らの権威を利用する人々は災いだ。兄弟たちを見殺しにし、神に飢えた霊魂のためにわたしが委託したパンである御言葉を用いるのをなおざりにする人々は災いだ。災いだ。神を公然と否認する者と、事業をもって神を否定する者とのあいだにわたしは区別をもうけないだろう。まことにわたしは、崇高なる創立者の苦悩をこめて、あなたたちに言う、最後の時に際して、わたしの教会に属する四分の三の人々はわたしを否認するだろうし、わたしは彼らを不浄な病気によって腐敗し、死んだ枝のように木の幹から切り落とさねばなるまい。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P129
人間は最後の時間に向かってその歩みをすすめながら霊性に到達しなければならない。だがここでわたしの言うことを理解しておくように。神は霊であり、サタンは霊である。前者は完全の霊である。後者は罪の霊である。神が尊重する人間自らの意志によって二分された大衆は、自分が選んだ陣営にそれぞれ帰属する。いと高き者の子供たちとわたしの兄弟たちは神の陣営を選び、わたしたちの愛によって肉を霊化する。サタンの従者たちと獣の子たちは、ルシフェルの陣営を選び、自分たちが欲した隷属によって、肉的なものの支配のもとに霊的なものを殺し、彼らの霊を腐敗したおぞましい肉と血にしてしまう。
今は各個人であるが、その時は真のキリスト者の全大衆となるであろう。あの成熟に到達した霊たちにわたしが君臨するであろう時、そのときわたしは、変わりえないという意味において異質ではない、新しい福音宣教をもって、きょうは理解できないとしてもその時には理解出来るであろう力のうちに、最後の教化で完全にするために、この陣営にのみ目を向けるだろう。それが辛かろうと、自らの努力によって、あるいは愛の奇跡によって、それにふさわしい者となった特別な人々をわたしは選ばなければならない。
二十世紀前にわたしはすべての人々に話しかけた。時が到来したら、わたしはこれらの特に選ばれた人々にのみ話しかけるだろう。ほかの人々に話しかけるのは無駄だと確信しているからだ。こうして選ばれた人々と見放された人々との選別が始まるだろう。
マリアよ、貴女は、わたしの意志によってそれにふさわしいものとされた魂である。貴女が持つ良きもの、それはただ一つ、愛そうとする良き意志だ。わたしにはそれだけで充分だ。この良き意志の上に、小さな魂を台石にして師のわたしの教壇を設置することが出来る。導き救う愛の言葉と愛への招きを言い、再び言い、もう一度言うために。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P139
それは霊の王国となるだろう。あなたたちが主の祈りのなかで―そしてあなたたちはついぞ反省することがないから求めているものが何かを知らない―求めている神の王国であろう。あなたたちの心のなかでなかったらあなたたちは神の王国をどこに望むのか? 地球上のわたしの国が始まるのはまさにそこからなのだ。大きな国だ。しかしそれは常に限りがある。
ついで地上にも時間にも境界のない国が到来するだろう。あなたたちを永遠の天の住民とするであろう永遠の王国だが、当然のことながら、わたしはわたしの臣下に話しているのであって、すでに彼らのおぞましい王サタンを仰いでいる堕落した者たちに話しているのではない。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P141
天の父からの豊かな賜物も、天に現われる恐るべきしるしも、あの時代の生者たちを神の子とすることは出来ないだろう。その時、わたしの大いなる恐るべき日が到来するだろう。
それは二十四時間から成る一日ではない。わたしの時は異なる測定をする。『日』といわれるのは日中に働くからであり、その時間中、わたしは力を尽くして働くだろう。地上に生きている人々の最期の選別を行うだろう。それはサタンが最後の猛威を振るうときに行われるだろう。
その時、彼らのうちに神の国をもつ者たちと、サタンの国をもつ者たちとを見るだろう。サタンの国をもつ人々が、口で、行為で、何よりも心のなかでわたしの律法を蔑み、神に対する最後の涜聖罪を犯し、最悪の冒涜を行ったあと、神の国をそのうちにもつ人々、すなわち主の子供であり臣下である人々は、最終戦の嵐が筆舌に尽くせない恐ろしさで大地の上に吹き荒れているあいだに、わたしの十字架にしがみつき、わたしの名を呼んで救いを求めるだろう。そしてわたしの裁き主としての来臨は、この人々をおびえさせず、ヨエルが主の『残りの者たち』と呼んだ人々、すなわちサタンの略奪後主に留まった忠実な人々は救われる者たちなのだから、むしろそれは彼らの歓喜となろう。
このわたしの子供たちは祝福されよ、祝福されよ、永遠に祝福されよ。永遠の楽園は彼らのものだ。主に忠実であったすべての時代の人々と一致して、その所有は永遠の至福である神を所有するであろう。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P144
いとも聖なる王の名において、支配欲をもたず、もっぱら霊のみを統治しようとする者の声に耳を傾けなさい。人間たちに幻滅させられたあなたたちが、人間というよりもすでに霊であり、ただ、あなたたちに、その現存を納得させるために必要な人間性を維持している御方に向き直る日がいつかやって来るだろう。わたしが霊感を吹きこむ彼の口からは、平和の君主、わたしが、あなたたちに言うであろう言葉と似た言葉が発せられるだろう。彼はあなたたちに、たがいに赦しあうという、いとも貴重な真珠を教え、畑の土をより肥沃にするために、それを切り裂き、その土をより美しくするために、雑草を刈る鋤の刃と鎌よりも美しい兵器はないことを納得させるだろう。彼はあなたたちに、もっとも聖なる苦労は、自分の兄弟たちに、パン、衣服、ないしは住まいを確保するために味わう疲れであることを、そしてまた、憎しみの毒も戦争の責め苦も知らずにすむためには、たがいに兄弟として愛し合うこと以外にないことを教えるだろう。
子供たちよ、主の光に向かって歩みはじめなさい。暗愚な闇のなかをそれ以上模索しながら行かないように。まっ先にわたしがいちばん愛する人たちに言おう。おお、わたしの心の最愛の者たちよ、わたしがあなたたちといっしょにおり、わたしの聖なる人々のお手本に導かれた他の者たちが共にいるのだからあらゆる人間的な恐れを克服し、わたしがあなたたちに約束し、あなたたちのそれと同じだが、キリスト的な愛徳によって変貌した、新しい地球に向かってあらたな脱出を始めなさい。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P145
サタンと俗世間と肉の偶像崇拝者たちから離れなさい。軽蔑はせずに、彼らから離れなさい。軽蔑はなんの役にもたたない。役に立たぬどころか破壊する。無益である。ただし、彼らに汚染されないように、彼らから離れなさい。贖い主の愛で彼らを愛し、彼らとあなたたちの間にキリストへのあなたたちの信仰を城壁として据えなさい。あなたたちは彼らの間に混じって危険なしに生きることが出来るほど強くはない。何世紀にもわたる精神的な退廃が、あなたたちをますます弱くしているからだ。初代教会のキリスト者たちに倣いなさい。俗世間のなかで生きるすべは学ぶべきだが、神へのあなたたちの愛の力によって、俗世間から身を引き離して生きるように心がけなさい。
そして動物のように彼の最良の部分をその本能に持つがゆえに、動物と違わないみじめな人間である超人を信じてはならない。その本能とはすなわち、彼を一頭の動物よりも劣るものとしない唯一のものだ。預言者は言う、『人間にたよるのをやめよ、鼻で息をしているだけのものに』と。この章句を、その意味に解釈しなさい。息をしていない動物は不浄な死骸に過ぎない。その唯一の生命は、息にある。この息に対して鼻孔を塞げば存在をやめ、骸と化す。
その息が続く間だけ持続するあの動物のもつ命の他は何も無いがゆえに、この獣に優らぬ多くの人間たちがいる。天のために創られた霊魂は死に絶えている。したがって、霊魂で生きる代わりに鼻孔で息をしているだけの人間たちがいる、と言うのは正しい。彼らからは霊的に遠のいている方がよろしい。サタンの息と、彼らから出る獣性があなたたちの人間性に触れないように、またそれがあなたたちを彼らに似た者としないように。
あなたたち、祝福された者よ、彼らのために祈りさない。それは愛徳の行為だ。それだけで充分だ。御言葉に対して自分を閉じている者に言葉は役に立たない。また、怒り狂う獣のような鼻孔からその横暴と傲慢を燻(くゆ)らせ、吹きつける者たちを最高だと思ってはならない。最高なのは生きた霊魂の所有者、すなわち神の子のみである。その他の者は惨めなもので、見かけ倒しの高さは大崩壊に運命づけられており、その記憶はスキャンダルと恐怖の記憶としてしか残らない。
マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P148
人間の業は、よいものでも悪いものでも、常に超自然的な目的のために役立つ。人間の悪意は、神に取り入れられ、神の手に触れることによって、善のための道具に変わるからだ。神は水源から溢れ出て分かれる小川のように、唯一の核から地球に四散している人々を最後の日に、再び唯一の核に結集するという目的を達成するために、その無限を見通す業で八方に手を尽くす。
わたしの業はすでに始まっており、そして人間的なものを侵害し、傷つける迫害者たちは、彼らがその悪業で主の大いなる日を創り出しつつあることに気づいていない。その日、わたしは散らされた羊を集めるように、膨大なわたしの羊の群れを十字架のもとに集め、かつては、わたしの羊の群れだったのに野生の状態に戻っている羊たちに、わたしは『子羊たち』と名を付けて、もう一度洗礼を授けるだろう。わたしのしるしの下で人間社会に巣くう毒蛇や狼である者たちを追い払って。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P167
イエズスは言われる。
「わたしの平和の王国の時が来れば―そしてそれはきっと来る。わたしがそう約束したのであり、わたしは約束を破ったことは今までに一度もない―地上の良い人々はすべてわたしのもとに来るだろう。それはわたしが貴女に話したあの時期であり、霊はあの進化に到達し、それによってあなたたちが自発的に二つの陣営に分かれる時期であろう。霊の外側に生きる人々は彼らの暗闇のなかに横たわり、悪の君主の軍団となるのを待つことになろう。霊のうちに生きる人々は今はごく少数の選ばれた人々にしか理解されないことを解し、その時にはわたしの栄光と神の子らの栄光がどのようなものかを、恩寵のうちに認識するであろう人々から愛され、祝福される神の聖なる子、主の胚の供回りとなってやって来るだろう。
わたしはわたしの聖なる人々を集めるだろう。わたしを愛し、わたしに従順かつ忠実な者はだれでもわたしの聖人なのだから。わたしは地球のすみずみから彼らを集めるだろう。また彼らの愛ゆえに、人間たちの悪業を赦すだろう。聖なる人々の善意がわたしの正義のきびしさを消し、わたしの愛と、聖なる人々の愛は、その火で地球を清めるだろう。自分自身とまた神と和解した地球は、巨大な祭壇となり、その上で師は、人間たちに真理の正確な知識を教えさずけるだろう。キリストが人類に崇められているのを見て、激高したサタンが、最終的な戦闘の火蓋を切ろうとしているのを見て、善良な人々の足もとが揺らぐことのないように。
3.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1981.7.1
あなたがたの周りの人に気を使わないでください。耳にする非難にも、私の事業を取り囲む懐疑主義にも、心をとめないでください。なぜなら、私のこの計画を理解する恵みは、すべての人に与えられてはいないからです。わたしの小さな子らであるあなたがたには、おん父がその恵みをお与えになったのです。おん父は、その恵みをイエズスを通してお与えになり、イエズスは愛のご自分の霊によって、あなたがたを、私の汚れなき心のゆりかごに置かれたのです。
聖母から司祭へ1981.9.8
今日は、まだ幼子だったときのあなたがたの母をごらんなさい。そして、小さな人になることを学びなさい。もしあなたがたが悔い改めて子どものようにならないなら、わたしの計画は理解できないでしょう。この計画の力は、弱さにこそあります。そして、毎日沈黙のうちにかくれて、実現されています。
神の国は、小さいことと、謙遜の道を通り、すべてを焼き尽くし、新たにする聖霊の力によって、あなたがたの所に来るでしょう。
もし、あなたがたの心が清ければ、わたしの子イエズスの凱旋を光栄をもって証明しに来られる聖霊を受け入れることができます。あなたがたの知恵が従順であるかぎり、あなたがたは、わたしのこの招きを理解もし、協力もするでしょう。
小さな人によってこそ、わたしの高慢な敵が倒され、世界が新たになるのです。
それで、今日は、幼子であるあなたがたの母の揺り籠のまわりに集まって、私と一緒に主に次の言葉を繰返しなさい。
「小さきものであったから、わたしは、いと高きお方の気に入りました。
神は、そのはしための卑しさをかえりみられ、全能のお方は、わたしに偉大なことをされた。
その御名は聖い」と。
聖母から司祭へ1982.6.19
私の声を聞き分け、私の心の神秘に入ることは、世の賢い人、権力ある人、富む人、傲慢な人に許されないで、小さな人、貧しい人、主の謙遜な僕に与えられたのです。