聖体拝領・・・聖書より

 

 

聖書より

 

ルカ22・19−21

 

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」

 

 

マタイ26・26−29

 

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」

 

 

マルコ14・22−25

 

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」

 

 

第一コリント11・23−26

 

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

 

マタイ14・14−20

 

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

 

イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

 

 

マタイ15・32−38

 

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」イエスが「パンは幾つあるか」と言われると、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えた。

 

そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が四千人であった。イエスは群衆を解散させ、舟に乗ってマガダン地方に行かれた。

 

 

マルコ6・34−39

 

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。

 

弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。

 

 

ヨハネ6・5−13

 

イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。

 

弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。五千人であった。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

 

 

マルコ8・1−10

 

そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」弟子たちは答えた。「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか。」イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。

 

そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。また、小さい魚が少しあったので、賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、七籠になった。およそ四千人の人がいた。イエスは彼らを解散させられた。それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方に行かれた。

 

 

ヨハネ6・22−59

 

その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。

 

群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」

 

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」

 

そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

 

そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

 

ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」

 

イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。

 

あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

 

わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

 

これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

 

 

ヨハネ6・60−71

 

 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」

 このために、弟子たちの多くの者が離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ぺトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれの所へ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

 

 

申命記8・2−3

 

あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたたちを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

 

 

マタイ3・1−4

 

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。

「『人はパンだけで生きるものではない。

神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』

と書いてある。」

 

 

 マタイ 24・15 ―28

 

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。 神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。 あなたがたには前もって言っておく。 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。 死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」

 

 

エゼキエル39・17−21

 

人の子よ、主なる神はこう言われる。あらゆる種類の猛禽と、あらゆる種類の野の獣に語りなさい。お前たちは集まれ。来て、わたしがお前たちのために屠ったわたしの犠牲に向かい周囲から集まれ。それはイスラエルの山々の上での大いなる犠牲である。お前たちはその肉を食らい、その血を飲め。勇士たちの肉を食らい、国の支配者たちの血を飲め。それは雄羊、小羊、雄山羊、雄牛であり、みなバシャンの肥えた動物たちである。お前たちは、わたしがお前たちのために屠った犠牲から、飽きるまで脂肪を食べ、酔うまで血を飲むがよい。お前たちはわたしの食卓で、馬や騎兵、勇士やすべての兵士たちの肉を飽きるまで食べる、と主なる神は言われる。わたしは国々の間にわが栄光を現し、国々はすべてわたしの行う裁きと、彼らの上に置くわたしの手を見る。 

 

 

黙示録19・17−21

 

わたしはまた、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た。この天使は、大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。「さあ、神の大宴会に集まれ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由な身分の者、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食べよ。」

わたしはまた、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。 しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。