聖書の緑野
1.トマス・ア・ケンピス
2.スウェーデンボルグ
3.アグレダのマリア
1.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・49・3
わたしはあなたの望みを知っているし、またしばしばあなたの嘆息を聞いた。
あなたはいまからもう神の子たちの光栄の自由にはいりたがっている。いまからもう永遠の住居(すまい)、喜びの充ち満ちている天上のみ国に行きたがっている。
けれどもその時期(とき)はまだこない、というのは、今はまだその時とちがい、戦闘(たたかい)のとき、労苦(ほねおり)、試練(こころみ)のときだからである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・51・1
わたしの子よ、あなたはいつも変わらずもっとも熱烈に、善徳を望み続けることはできないし、また最高度の観想をしつづけるわけにも行かない、かえって原始の堕落のためにときどきは身を貶(おと)して低いことに従い、この朽ちるべき人生の重荷を、しぶしぶながらも、いやいやながらも、担うことが必要なのである。
あなたがその死すべき肉体を持っている間は、心にいやな気持ちと苦しみとを感ずるだろう。
それゆえあなたは、肉をまとうている間は、しばしば肉の重荷を嘆かなければならぬ。なんとなれば、あなたはたえず霊の操(わざ)や神の観想にばかりふけっていることができないからである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・51・2
そういうときあなたにとってためになるのは、卑(ひく)い外部(そと)の仕事に逃れ、善業をして心を慰め、わたしが天から来て訪れるのを固い信頼を持って待ち望み、ふたたびわたしの訪問を受けてすべての苦しみから救われるまで、あなたの逐謫流浪(さすらい)と心のさびしさとを、忍耐強くこらえることである。
なんとなれば、わたしはあなたに苦労を忘れさせ、内心(こころ)の安らかさを味わわせるだろうからである。
わたしは聖書の緑野をあなたの前に展(ひろ)げて見せよう、そうすればあなたの心もひろびろとなって、わたしの戒律(おきて)の道を走りはじめることもできるだろう。そしてそのときあなたは、「この世の苦しみは、私たちの身の上にあらわれるべき将来の光栄におよぶものではない。」(ロマ書8・18)と言うだろう。
2.スウェーデンボルグ
聖書96イ
聖言は凡ゆる種類の美味しいものと歓ばしいものとを、その果実の中に美味しいものを、その花の中に歓ばしいものをもった庭園、天界のパラダイスのようなものであって、その庭園の最中には生命の木があって、その近くには生きた水の泉があり、森の木はその庭園をとりまいている。教義から神の真理の中にいる人間は生命の木のあるその中央にいて、その美味しいものと歓ばしいものとを実際に楽しんでいるに反し、教義からではなくて、文字の意義からのみ真理にいる人間はその端にいて、森林以外には何一つ見ないのである。そして誤った宗教の教義の中にいて、その誤謬を確認した人間はその森の中にさえもいないで、その彼方の、草さえも生えていない砂原にいるのである。死後の彼らの各々の状態はこのようになることはその適当な所に示されるであろう。
天界と地獄270
彼らはまた第三の天界の天使たちの知恵を有用な凡ゆる物で満ち、周囲の至る所に楽園があり、その楽園のまわりにも多くの種類の壮麗な物の在る宮殿に譬えたのである、その天使たちは、知恵の諸真理にいるため、その宮殿の中へ入って、凡ゆる物を見、またその楽園の中を凡ゆる方向に向って歩き回って、凡ゆる物を楽しむことが出来るのである。しかし真理について論じる者は、特にそれについて論争する者はそうではない、これらの者は、真理を真理の光から見ないで、他の者からか、または内的に理解していない聖言の文字の意義からか、その何れからか得ており、それは信じなくてはならないものであり、信仰をそれに働かさなくてはならないと言って、それを内的に見ることを欲しないのである。これらの者については天使たちは言った、彼らは知恵の宮殿の最初の入口にも近づくことはできない、ましてその中へ入って、その楽園の中を歩き回ることはできない、なぜなら彼らはその最初の一歩で立ち止ってしまうから。真理そのものにいる者はそうではない。かれらの者は何ものにも妨げられないで前進し、また無限に進歩して行く、なぜなら彼らは何処に行こうと、その見る真理が彼らを導き、広々とした野へ連れて行くからである、それは真理の各々は無限の広がりをもって、他の色々なものと連結しているからである、と。
3.アグレダのマリア
アグレダのマリア/神の都市/P63
隠遁の誓いは、愛徳や諸徳の囲壁になります。キリストの配偶者たちに天より与えられた特権です。世の中の危険な誉め言葉から遠ざけ、安全な港を与えてくれます。狭い場所に詰め込まれるのではなく、神の知識の広大な徳の野原にいるのです。修道女はこの野原で楽しみ喜ぶのです。神の知識と愛の頂上に向かって昇りなさい。そこには汝を押し込める所はなく、無限の自由があります。そこから被造物を眺めれば、どんなに小さく汚らしいかが判ります。いと高き御方は私に説明なさいました、「神人の母となられるべき御方の業は完全そのもので、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セラフィムができる全てに勝る。汝は理解できても言葉で言い表せない。この世の巡礼に於て至聖なるマリアを汝の喜びの第一番としなさい。