聖母は教会一致の元后

 

 

1.聖書より

2.デボラ

3.聖母から司祭へ

4.ヴァッスーラ

5.マリア・ワルトルタ

6.愛の炎

 

1.聖書より

 

使徒行伝1・13−15

 

彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

 

彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。

 

 

 

 

2.デボラ

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P147

 

子供たちよ、私のおん子の教会の中の分裂という呪いが解決されますように、私と一緒に祈ってください。私はキリスト教徒たちの一致の元后です。

 

 

 

 

3.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1979.9.29

 

今日、私のこの業によって、主は、幼子と、乳飲み児の口から完全な光栄を受けておられます。

 あなたがたとともに、主の天使もいます。私は、この天使たちの后です。かれらには、すでに私の命令に従う準備ができています。なぜなら、聖三位一体が、教会と世界を新たにする仕事を私の汚れなき心にまかせてくださったからです。

 

 

聖母から司祭へ1980.2.11

 

 私は、あなたがたを愛で一致させたいのです。あなたがたは、おたがいが一致するまで、愛をあなたがたのうちに日毎に増していかねばなりません。

 そうすれば、私は、あなたがたを、私の子イエズスにささげることができます。

 これこそ、イエズスのいちばん深いお望みにかなうのです。

 この望みをイエズスは遺言として残してくださいました。「父よ、あなたが、私のうちにおいでになり、私が、あなたのうちにあるように、みなが一つになるように」と。

 この一致は、あなたがたの母であるこの汚れなき私の心のなかでなければ、どこで、まいにちつくられましょう?

 私は、あなたがたをみな愛し、導き、集め、一致させます。

 

 

聖母から司祭へ/1980.10.27

 

 私は、一致の道です。

 

 洗礼をうけて、わたしのおん子と同じいのちを頂き、こうして、一つの“からだ”となったすべての人々が、愛しあい、和合し、尊敬と心ゆくまでの交わりの一致に連れもどすのは、母であるわたしの役目です。あるものは、キリスト者の一致がもっと容易になるだろうと勘ちがいして、あなたがたの天の母を排斥しました。ところが、その結果は、一致へのもっと重大な新しい障害が生じたのです。こうして、不一致はカトリック教会の内部に侵入しました。

 完全な真理によらないでは、キリスト者の真の一致は不可能です。この真理が完全に保たれているのは、カトリック教会においてだけです。それで、カトリック教会は、この真理を保存し、守り、何ものも恐れないで、すべての人に告げ知らせなければなりません。

 イエズスに建てられた唯一の教会に、私の大勢の子らをつれ戻そうとして、ひき寄せるのは、真理の光です。完全な愛徳なしには、キリスト者の真の再一致はあり得ません。あなたたちの天の母以上に、だれが、あなたがたを、お互いに愛しあい、理解しあい、同情しあい、知りあい、尊敬しあうように助けることができるでしょうか?

 神のみ旨だけを行うようになるため、内的な回心と清めの努力をしないかぎり、キリスト者の真の再一致は不可能です。

 ところで、あなたがたにとって、神のみ旨とは何でしょう?

それは、“すべての人が一つになること”です。

 このむずかしい人世の旅路をたどるにあたって、私の子らを、だれがわたし以上に助けられましょう?

私は、あなたがたにとって、一致の道です。わたしは、全教会に受け入れられたとき、はじめて母として、私のすべての子らを同じ家族の団欒に集めることができるでしょう。

 それで、私の汚れなき心が世界に勝利をうるその同じときに、すべてのキリスト者はカトリックの教会にふたたび一致するでしょう。こうして、再一致した教会は、新たな聖霊降臨の輝きを受けて全世界のすべての民族を新しくする力を帯びるのです。

 

 

聖母から司祭へ1991.6.26

 

あなたたちは、新しい教会の新しい心となるように召されています。

イエズスは、この新しい教会を完全に不思議な方法をもって、わたしの汚れなき心の天的花園の中に形づくろうとしておられます。

 

 

4.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち2巻P80

 

ヴァッスーラ、教会を一致させる時が来た、再び一つとなりなさい 愛する者たちよ、このいにしえの廃墟を建て直しに来なさい、私自身の手で建てられた基礎を建て直しなさい、我が母を尊ぶようにみことばである私が 誰にもまして尊んでいるように。そうならば 塵と灰であるあなたが母を 天の元后として認め、尊ぶのを私が望まないだろうか?被造物が我が母の重要性について殆ど知らないのを見て 今日私は深く悲しんでいる、

 

ルーテルの名のもとに 全く孤立してしまった人びとは、 ペトロのもとに戻りなさい、

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P138

‘88・2・10

 

主:ヴァッスーラ 私の声を聞き 書きなさい。

ヴァッスーラ:はい 主よ。

 

主:私はみことば アルファでありオメガ、私は不死の霊薬、愛の源 すべては私が在らしめた。あなた方を贖うため 肉となり地上に降った。娘よ 十字架からヨハネと母に与えたみことばに対して 私の教会には非常に多くの混乱が見られる、主である私が、御母を天の元后として戴冠させたことを、何にもましてあなた方に思い出させたい

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P165

‘88・3・23

 

主よ! 私たちを変えて下さるとたびたび仰しゃり、あなたの王国が本当に来ると仰しゃっているときに、どうして、もし という言葉をお使いになるのですか。私には分かりません・・・

 

聞いて 理解するように、あなた方には選ぶ自由がある、主であり至高者、そして光である私は、あなた方の上に降った 被造物よ、あなた方に与えようと 手に私の心を持って この漆黒の闇の中を降って来た、あなた方を贖い その上に輝くために、私に対してなされた無数の罪と背きを洗い流すために、あなた方を呼び戻し、教会を一致させに来た、主なる私は、誰に権威を与え 天の王国の鍵を与えたかを思い出させ、母を尊び み前で膝を屈めることを皆に教えようと訪れた、母は私の手によって栄冠を受け 天の元后であられる。

 

 

 

 

5.マリア・ワルトルタ

 

聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P54

 

『手記‘45−’50

「聖母のうちに全教会と人間性の救済の希望がある」(107日)

 

 

マリア・ヴァルトルタ652/天使のたより第6号P20/天使館

 

U 司祭と信者たちの内に、福音書への、またキリストに拘るものへの生き生きとした愛を目覚めさせることです。そのすべてのことの中でも第一のことは、世界の救いの秘密である祈りのうちに、わたしの母に対する愛徳を新たにすることです。わたしの母、彼女は、あの呪われた龍に勝った勝利者です。彼女へのあなたたちの新たにされた愛と、新たにされた信仰と、彼女について言及されている知識をもって彼女の出力を助けなさい。マリアは世に救い主を与えました。世界はいまだに彼女によって救いを得るでしょう。

 

V わたしの周囲で動揺する様々な霊界を注視して、霊の師たちと霊魂の指導者たちの役目を助け、霊たちを救うためにわたしがとった違う方法を彼らに知らせることです。なぜなら、たった一つの方法をすべての霊魂に当て嵌めるのは愚かだからです。自発的に完徳を目指している一義人をそこへ引きつける方法は、罪人である一信徒に適用される方法や一異邦人に用いられる方法とは違います。あなたたちの先生のように判断するに至るなら、あなたたちの間にも、権力と横暴を、あるいは黄金を、あるいは肉欲を、あるいは彼らの知識への傲慢を、真のと取り替えた惨めな異邦人たちがたくさんいます。また現代の新加入者たち、すなわちキリスト教的思想を受け入れたけれども、離教した教会に属し、キリスト教的国籍を受け入れない人たちを救うためにとられねばならない方法は異なります。誰をも見落とされてはなりません。他のすべての羊にもまして、これらの迷える羊たちを愛し、彼らを唯一の群れに連れ戻すよう捜す、牧者イエズスの望みが叶えられるよう努めなさい。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P293

 

 マリアと一緒に先生も引き留める人たちに、また今度来ますと約束し、祝福してイエズスは外に出る。ペトロがマリアと一緒にうれしそうに歩く。左右から子供の手を引いているので幸せな家族に見えるので、大勢の人が振り向いて見る。イエズスもほほえんで三人を見送る。

「シモンが幸せそうですね」と熱心もののシモンがささやく。

「先生、なぜそんなににこにこしているのですか」とゼベデオのヤコボが不思議がる。

「あの三人に、大きな約束を見ているからです」

「何の約束ですか」とタデオが尋ねる。

「時が来れば、安心してここを去ることができます。私の教会のために、私が心配しなくてもよい、その時、教会はマルジアムのように小さくて弱々しいが、私の母がいまと同じように、その手をとって、母の役割をします。そしてペトロが父の代わりをします。生まれつつある私の教会を、何ひとつ心配せず労働者のペトロの正直な手にまかせればよい。ペトロが自分の保護の力、母が自分の愛の力を与え、教会はマルジアムのように成長します。本当にマルジアムは象徴の子供です。神は私の母、私のペトロとその仲間、私たちの子供を祝福されますように・・・」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 下/P321

 

「はい、とても。この世の向こうに、神殿の幕のかなたのもっと聖なる所にいる感じです。この場所で、あの時光に包まれたあなたを見て、あなたに対する尊敬が足りなかったと恐れおののいております。これからは、あなたを“マリア”と以前のようには呼べません。いまのいままで、あなたは、先生のお母様とだけ思っていましたが、これからはあなたを天の波の頂上に女王として見ますし、私のようなみじめな者は奴隷にすぎないので、そのようにします」こう言うと、大地にひれ伏してマリアの足に接吻する。

 その時、イエズスが声をかけた。

「シモン、立ちなさい。ここに、私のそばにおいでなさい」

 マリアがイエズスの右にいるので、ペトロはその左に立つ。

「私たちは、いま何ですか」とイエズスが問いかける。

「私たち?イエズスとマリアとシモンではありませんか」

「そのとおり。だが何人ですか」

「三人・・・先生、三人です」

「つまり、一つの三位一体ですね。ある日、天の三位一体で、みことばがこの世に下る時が来たと言われました。また、いつの日か、“すべては完成されたので、あなたが戻る時期が来た”という天からの命令が下ることでしょう。そうしたら、みことばはこのようにして・・・(イエズスは一歩退き、マリアとペトロをその場に残して)天の上から、残った二人の業を見届けます。この二人は、聖なる活動によって力と愛とを一にして、みことばの望みを果すためにますます一致協力するに違いない。

 みことばの望みとは“この世の贖いが、教会の絶えざる教導によって行われる”ことであり、父と子と聖霊とが、この世に残った愛である私の母、力であるペトロの二人を、ますます一つに結びつけるに違いない。そのためにも、マリアを女王として扱うのはかまわないが、おまえは奴隷の態度をとるべきではない。そうではありませんか」

「私は、取るに足らない私のような者は、どう考えたらよいのですか。私を力と言われたが、私が勢力を持たねばならないとしたら、それこそ、マリアの助けが要ります! おお、私の主の母よ、いつでも、いつまでも私から離れないでください・・・」

「恐れることはありません。私の幼な子が一人で歩けるようになるまでずっと私がしていたように、あなたの手をとって歩きます」

「それから?」

「それから、あなたを祈りをもって支えます。さあさあシモン、神の力を疑うものではありません。私もヨゼフも疑いませんでした。あなたも疑ってはいけません。私たちが謙遜で忠実なものとして残れば、神はその時々に合った助けをくださるはずです。・・・ほら、皆、外に出て、あの大きな木陰になっている小川のそばで休んで、何か食べましょう」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 下/P370

 

生きる天であるあなたは、地上に、人間の中に三位一体をもたらし、司祭たちの女王で、キリスト者たちの母であるあなたは、教会を聖ならしめます。それから、私はあなたを迎えにきます。そうした時には、もはや、私があなたの中にではなく、あなたが私の国で私と一緒にあって天国をより美しくします。

 

 

6.愛の炎

 

愛の炎P84

 

<新しい聖霊降臨>

「この洪水は、聖霊の力を全世界に注いだ最初の聖霊降臨のものと比べることができます。全人類は、この大きな奇跡に気づかなければなりません。それは、聖母マリアの愛の炎の輝きです。信仰が薄くなっているこの世は、今、闇に落ちようとしていますが、信仰に立ち返る前に大きな混乱状態があるでしょう。このことが信仰の力で新しい世界を築くことになります。信仰の中にある信頼は、その心の中に根を下ろし、地の表は新しくされるでしょう。みことばが人となったとき以来、そのような恵みの洪水はありませんでした。今、苦しみで満ちているこの世界の刷新は、聖母マリアの力づよい取りつぎによっておこなわれることでしょう。」

 

P87

主が話しをしておられるときに、そのことばは聖母マリアのことばと重なり合い、まるでひとりの人が話しているかのようでした。