(絵本)サムライたちの殉教
米沢 1629.1.12
絵 神保 亮 文 筒井義之
ドン・ボスコ社
P31
米沢の信者は「コンフラリア」とか「組」と呼ばれる信心会をつくって活動していました。イエズス会指導のもとに「聖母マリアの組」と「御聖体の組」が、フランシスコ会のもとに「コルドン(腰紐)の組」がありました。迫害下にもかかわらず米沢の信者が急増したという背景に、信者の輪と具体的な愛徳の実践が欠かせなかったのです。
実際、甘糟父子や西堀らの組親は殉教前の数ヶ月間に多くの人々に洗礼を授けました。組の信者は村ごとにまとまり、病人を励まし、貧しい人を助け、時に行き倒れの死者を葬りました。その行動を支えたのは「飢えた人に食を、渇いた人に水を・・・」(マタイ25:31−46)のあの最後の審判のキリストの言葉でした。キリシタンたちは「キリストのように」生きようとし、限りなくキリストに近づこうとしたのです。