叫ぶ

 

1.聖書

2.信仰から発した生きた告白または承認

 

 

 

1.聖書

信仰から発した生きた告白または承認

 

ハバクク2・11

 

まことに石は石垣から叫び

梁は建物からそれに答えている。

 

 

 

ルカ19・37−40

 

イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
「主の名によって来られる方、王に、

祝福があるように。天には平和、

いと高きところには栄光。」

すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

 

 

 

 

2.信仰から発した生きた告白または承認

 

 

天界の秘義5323[3]

 

『叫ぶこと』もまた信仰から発した生きた告白または承認に相応した行為であるため、こうした告白が意味されねばならなかった時は、古代人の間にその叫ぶ儀式が守られ、そうした理由から『叫ぶこと』または『大声を立てること』が、信仰から発した告白と承認との関連して聖言に再三記されているのである、例えばバプテスマのヨハネについては以下のように言われている―

 

 ヨハネは、イエスについて証をし、叫んで、言った、この方こそ、私が、私の後に来られる者は私の前におられた、なぜならその者は私よりも先におられたからである、と言った方である。私は、荒野で、主の道を真っ直ぐにせよと叫ぶ者の声である(ヨハネ1・15、23)。

 

 同書に―

 

 彼らは棕櫚の木の枝を取り、行って、イエスを迎え、叫んだ、ホサナ、幸なるかな[祝福された方よ]主の名において来られる方、イスラエルの主よ、(ヨハネ12・13)。

 

 またルカ伝には―

 

 イエスはパリサイ人に言われた、もしこれらの者が沈黙するなら、石が叫ぶであろう(ルカ19・40)。

 

『叫ぶこと』は信仰から承認することを意味し、引いてはその承認から受け入れることを意味したため、それで私たちは主について、かれは『叫ばれた』の記事を読むのである、例えばヨハネ伝に(7・28、37、12・44)、またイザヤ書には―

 

 エホバは英雄として出て行かれるであろう、かれは戦士のように熱意をかき立てられるであろう、かれは大声を立てられるであろう、まことに、かれは叫ばれるであろう(42・13)。

 

その対立した意義では『叫ぶこと』により承認しないことが意味され、かくて反感〔嫌悪〕が意味されていることは前に見ることが出来(5016、5018、5027番)、それは誤謬について述べられているのである(2240番)。