細工人

 

 

 

天界の秘義424

聖言の『細工する者[細工人]』により賢明な、理知的な、知識の豊かな人間が意味されており、ここでは『銅と鉄で細工する者凡て』により自然的な善と真理とに通じている者が意味されている。例えばヨハネの書には―

 

大きな都バビロンは激しく投げ下ろされて、もはや些かも見られなくなるであろう。竪琴を弾く者、楽を奏する者、笛を吹く者、ラッパをならす者の声はもはやその中に些かも聞かれないであろう。いかような技術の者であれ、細工人も一人としてもはやその中には見られないであろう(黙示録18・21,22)。

 

 ここの『竪琴を弾く者』は、前のように真理を意味し、『ラッパをならす者』は信仰の善を、『いかような技術であれ、その細工人』は知っている者を、または真理と善の記憶知を意味している。イザヤ書には―

 

 細工人は彫像をとかし、製錬師は金でそれをおおい、銀の鎖を鋳る、彼は賢い細工人を自分に求め、動かない偶像を整えさせる(40−19、20)

 

これは誤ったものを―『彫像』を―自分自身のために幻想から作り出し、それらが真らしく見えるように教える者を語っている。エレミヤ記には

 

彼らは逆上すると同時に愚かとなる、空虚な教義、それは切株に過ぎない。打ち展べた銀はタルシシから、金はウパヅからもってきたもの、細工人の、また製錬師の手の業である。青と衣裳、それらは凡て賢人の業である(10・1,8,9)。

 

これは誤謬を教え、その発明品を作り出す材料を聖言から集める者を意味しており、それでそれは『空虚な教義』『賢人の業』と呼ばれている。こうした者は古代細工人により表象されたのであって、かれらは偶像を、すなわち、誤謬を作り上げ、それを金で、すなわち善のまがいもの[善のように見せかけたもの]で飾り、また銀で、すなわち、真理の外観[真理のように見えるもの]で飾り、青と衣裳で、または外見では(それに)一致しているような自然的な物で飾るのである。