理性

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・55・2

 

 わずかばかり残っているその力も、灰にうずもれた火の粉のようなものに過ぎません。

 その力というのが、すなわち私たちの本性の理性でありまして、深い霧に包まれながらも、まだ善悪、真偽を識別(みわけ)ることはできますが、そのよいと認めたところをなしとげることができませんし、また真理の曇りのない光も、原始(もと)の健全な愛情も持っていないのであります。

 

[4]本性に与えられたものは、善人も悪人もともにこれを持っています。

 

 

天界の秘義1893

 

 実際子供たちの中には合理的な外観は存在しているが、それでもそれは合理性ではなくて、その合理性の一種の基本にすぎないのであり、そのことは理性は成人と年をとった者に属しているという事実から知られている。