臨終の際の主の臨在
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.ヴァッスーラ
1.聖書
使徒言行録7・55−60
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2・P348
主がエンドルのヨハネに:
「真実である私に誓って約束するが、私はおまえの臨終の枕元に、きっとかがんでいます」
マリア・ヴァルトルタ/天使館第1巻P378/42・9
泣いているあなたたちよ、習いなさい。死にゆくあなたたちよ、習いなさい。死ぬために生きているあなたたちよ、習いなさい。ヨセフにわたしが言った言葉に値するよう努めなさい。それは死と闘うあなたたちの支え、慰めとなるでしょう。習いなさい。死に臨んだあなたたちよ。イエズスに傍らにいてもらいたいなら、それにふさわしくなりなさい。そして、あなたたちがたとえふさわしくなくても、敢えてわたしを傍らに呼んでほしい。わたしは来るだろう。
死は、もしわたしの両腕の中で迎えるなら、凡ゆる苛烈さ、刺々しさを失う。それを信じよ。わたしは死を廃止することはできない。だが、わたしにすべてを委ねて死ぬ者の死を耐え易くします。
キリストは、十字架上で、それをあなたたち皆のために言ったのです。『父よ、わたしの霊をみ手に委ねます』と。キリストはそれを自分の臨終の時に言ったが、あなたたちの臨終、あなたたちの恐怖、あなたたちの不安、心配、神から赦されたいという渇望を思いつつ言ったのです。槍で脇腹を刺し貫かれる前に、物理的なそれよりも精神的な拷問で真っ二つに引き裂かれた心で、それを言ったのです。というのも、わたしに思いを馳せつつ死んで行く者たちの臨終が、主によって和らげられ、その霊が死から永遠の生命へと、苦しみから喜びへと移って行くためでした。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P124
‘88・1・29
ゆうべはありありと自分が死ぬ夢を見ました。どう死ぬかを。死を迎えている時イエスが支えて下さいました。私は立っていましたがふらついていて、イエスは肩に私のあごを置かせて下さっていました。私の右の頬には主の髪の毛が感じられ、それは聖骸布にあるように、拷問を受けたかのようでした。主は耳もとに慰めの言葉を囁きながら、同時に気持ちをほぐし、主が受け取って下されるよう、体から霊を引き離すための指示も与えて下さっていました:ときには医者のような言い方で。私が見た限り心配はなく、苦痛も全然感じませんでした。
♡ ヴァッスーラ 私たちがともにいる 子よ(イエスと聖マリア。)私の花よ あなたの時が来たら、刈り入れ主である私はあなたを摘んで我が喜びの園に植え替える、ヴァッスーラ 見たのは現実の反映でしかない、さあ来て回心しなさい 愛する者よ、私は耳を傾けている、(私は悔い改め 罪の許しを願い求めました)すべてが赦された、誠実さと聖なる生き方を教えよう、もう罪を犯さないように ♡