理解を超絶

 

 

天界の秘義3596

 

しかしこれらの主題は自然的な人の把握を超絶しているような性質のものであり、合理的なまたは内なる人がその中にいるところの[合理的な内なる人が浴しているところの]光に由らなくては認められることはできず、その光の中には、現今では僅かな者しか再生していないため極めて僅かな者しかいないため、それでこれ以上それらを説明しない方が良いであろう、なぜなら知られていない、また把握できない事柄を説明することによりそれらのものは明らかにはならないで、反って益々不明なものになってしまうからである。さらにこのような事柄は自然的な諸真理の観念の上に建てられて、その観念を通して把握されねばならないが、現今ではこの観念もまた欠けてしまっている。これが直ぐ前に記されている言葉がかくも簡単にたんにその表現の内意のみについて説明された理由である。

 

 

天界の秘義3599[3]

 

そのアルカナはその最も全般的な点ですらも人間の理解の中へは落ちこんではこないといったものであり、このことは今し方述べた事柄にも恐らく言われることができよう、それでそれに関連している無数の細々としたことはどうして人間に理解されることできようか。それでもそれらは天使たちの理解と把握には充分に適応しており、かれらはこれらの、またそれに類した事柄については、言うに言われぬほどに可憐で祝福に満ちた表象物により解明されている天界の観念を主から受けており、このことから天使の知恵の性質については若干の概念が得られようが、それでもそれは、このような事柄は人間の理解の陰の中に在るため、迂遠なものである。