霊的な善

 

1.天界そのものを作っているところの、かの歓喜、満足、祝福、幸福

2.霊的善に到達した者は他のものから来ている教義をもはや必要とはしない

 

 

 

1.天界そのものを作っているところの、かの歓喜、満足、祝福、幸福

 

天界の秘義5365[4]

 

 そして霊的な善のいかようなものであるかが知られておらず、またそれは隣人に対する仁慈であることも知られていないため、最高の善のいかようなものであるかが、世では、とくに学者たちの間で論争の主題となってはいるが、ほとんどたれ一人、それは利己的な、または世的な目的を全く持たない相互愛から認められて、天界そのものを作っているところの、かの歓喜、満足、祝福、幸福であるとは主張していないのである。このことからまた以下のことが明らかである。すなわち現今の世では霊的な善のいかようなものであるかは全く知られておらず、ましてや善と真理とはともに結婚を形作っており、天界はこの結婚の中に在り、その中にいる者たちは知恵と理知の中にいて、無限の、また表現することもできない変化をもった満足と幸福とをもっており、その一つとして世では知られておらず、その存在さえも承認されないし、信じられもしていないことは知られてはいないものの、事実はそれが天界そのものであり、または教会で喧伝されているかの天界の喜びそのものなのである。

 

 

2.霊的善に到達した者は他のものから来ている教義をもはや必要とはしない

 

天界の秘義5997

 

霊的な善は教義以上のものであって、教義はこの善から発しており、それで霊的善に到達した者は他のものから来ている教義をもはや必要とはしないのである。なぜならかれはその目指していた目的の中にいて、もはやそれに到達する手段の中にはおらず、そして教義的なものは目的としての善に到達する手段以外の何ものでもないからである。