霊的な生命

 

1.愛の凡ゆる善とまた信仰の凡ゆる真理、この二つのものが霊的な生命を作る

2.霊的な生命は真理に従った活動に在り、従って用に在る

 

 

1.愛の凡ゆる善とまた信仰の凡ゆる真理、この二つのものが霊的な生命を作る

 

天界の秘義6118

 

「言った、わたしたちにパンを与えてください」。これは霊的な生命を支えるために懇願することを意味していることは以下から明白である、すなわち、『与えること』の意義は、それがパンについて述べられているときは、支えることであり、『パン』の意義は霊的な生命である。なぜなら『パン』により特定的には愛と仁慈との善が意味されているが、しかし全般的には霊的な生命が意味されるからである。なぜならこの場合『パン』により(前に示されたように、2165番を参照)凡ゆる食物が意味されるからである。なぜなら霊的な意義では全般的に食物は愛の凡ゆる善とまた信仰の凡ゆる真理であり、この二つのものが霊的な生命を作るものであるからである。

 

 

2.霊的な生命は真理に従った活動に在り、従って用に在る

 

天界の秘義6119

 

真理が欠けるとき、霊的な死が起るという事実については、実情は以下の如くである。霊的な生命は真理に従った活動に在り、従って用に在るのである。なぜなら霊的な生命にいる者たちは、生命を目指して、すなわち、真理に従って生きるために、かくて用を目指して、真理に対する欲求と渇望とを持っているのである。それでかれらはいくたの真理を―それに応じて用が為されることができるのであるが、そうした真理を―受けることができるに応じて、霊的な生命を得るのである、なぜならかれらはそれに応じて理知と知恵の光に浴するからである。それで真理がつきると―それは、聖言で『夕』により意味されている蔭の状態が来るとき起ってくるのであるが(6110番)―霊的な生命は苦しむのである、なぜなら(そのとき)蔭、すなわち、霊的な死にぞくしているようなものが現れてくるからである。なぜならその場合かれらは以前のように光の中に留め置かれないで、部分的にかれら自身のものの中へ連れ戻され、かくてその蔭から霊的な死、すなわち、堕地獄の映像が起ってくるからである。