天界の秘義1203

『夫と息子らとをきらう』ことは諸善と諸真理とを斥けることである。

 

天界の秘義1468

 

「かれはその妻サライに言った」。

これは天的なものがそれに接合された真理について主がそのように考えられたことを意味していることはサライが妻と呼ばれている時のサライの意義から明白である。

 

『妻』は、聖言の内意では、善に連結した真理以外の何ごとをも意味していない、なぜなら善と真理との連結の条件は結婚の条件と正確に似ているからである。聖言では、『夫』が記されている時は、夫は善を意味し、妻は真理を意味しているが、しかしかれが夫と呼ばれないで、『男』と呼ばれている時は、そのときはそれは真理を意味して、妻は善を意味しており、このことは前に言ったように(915番)聖言に絶えず用いられている。

 

わたしたちが今とり扱っている記事では、アブラムが記されているため、その妻サライは真理を意味しているのである。かれの妻サライにそのように言うことは、内意では、天的なものがそれに連結した真理についてそのように考えることである。アブラムがエジプトに旅をしたとき、その妻にそのように言ったことは歴史的に真であるが、しかし前に言ったように、聖言の歴史的なものはすべて表象的なものであり、その言葉は凡て表意的なものである。内意のうちでこうしたアルカナを含まない歴史的なもの以外の歴史的なものは聖言に記されていないのであり、またそれ以外の順序をもって記されておらず、またその歴史的なものを表現するために、それ以外の言葉も用いられてはいないのである。