天界の秘義265

 

『男』により合理的なものが意味されることは本章の6節に、すなわち女が自分とともにいるその男に与え、男が食べ、そのことによりかれの同意が意味されているということに現れている、同じことがまた156番に男について言われたことから明らかであり、そこは男により賢明で理知的な者が意味されているのである。しかしここでは男は合理的なものを意味しており、それは知識の木の実を食うことにより知恵と理知とが破壊されてしまった結果他の何物も残らなくなったためである、なぜなら合理的なものは理知を模倣していて、いわばその類似物であるからである。

 

 

天界の秘義266

 

凡ゆる法律と法令とは天的な、霊的なものを、その真の起原として、そこから発しているため、この結婚の法則も同じくそこから発していることが生まれており―その法則は女は男のように理性から行動するよりは、むしろその女自身のものに属した願望から行動するため、男の深慮に服従しなくてはならないことを求めているのである。

 

 

天界の秘義3134

 

『男』の意義が真理であり(265、749、1007番を参照)、ここでは神的なものから発している自然的な人における真理であることから明白である―なぜならその男はここではアブラハムの年長の僕であって、かれにより自然的な人が意味されているからである(このことは前の3019番に見ることができよう)。聖言にはとくに予言的な聖言には、『男』という言葉が再三記されている、例えば『男と妻』『男と女』『男と住民[住む者]』また『男と人間[人]』であり、このようなところでは『男』により内意では、真理であるところの、理解に属しているものが意味され、『妻』『女』『住む者』『人間[人]』により善であるところの、意志に属しているものが意味されているのである。例えばイザヤ書には―

 

 わたしは見る、が、男は一人もいない、かれらの間にする、そして勧めをする者は一人もいない(イザヤ41・28)。

 

『男は一人もいない』は理知的な者は一人もいない、かくて真理はない、を意味している。さらに―

 

 わたしは来た、男は一人もいなかった、わたしは呼んだ、が答える男は一人もいなかった(イザヤ50・2)。

 

ここの意味も同一である。