思い
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P157
われわれは、外側の感覚を通して外の世界を知り、内側の感覚を通して内なる霊界を知る。心中に何かを思う気持ちが起こるというのは、思う心が存在するだけでなく、対象となる何かが存在することを裏づける。いいかえれば、思いとは、事物が心に投影されたものである。自分ではそうしようとは思わないのに何かを考えさせられる、といったことがよく起こるが、それは外の何かが心に投影しているのである。花の香りが漂ってくるというのは、花があるからである。形や色がみえなくとも、香りそのものが花の存在を伝てくれる。そのように、思いは対象となる事物が存在することを暗示している。
心は鏡のようなものである。鏡に像が映るのは、鏡の前に物があるからである。鏡の好むと好まざるとにかかわらず、そこに物が反映している。鏡は生命をもってはいないが、心は生命をもっている。鏡は像を自ら結ぶことはできず反射するだけだが、心には観念を生む能力もある。つまり、心は鏡に似て外界のものを内に映し出すが、心自らが外に像を結ぶこともある。抽象的観念は実在の火が生み出す火花である。