尿
天界の秘義820
強盗と海賊行為を行った者は他生では腐敗して、悪臭を放っている尿を他の凡ての液体にもまさって愛し、彼ら自身にはこのような物の間に、淀んだ悪臭を放っている溜り水の中に住んでいるように見える。或る一人の強盗が私のもとへ来て、歯をかみ鳴らしたが、その音は人間から発しているかのようにはっきりと聞こえたのである。これは彼らには歯が無かったので、奇妙なことであった。彼は自分はどんなにきれいな水の傍よりも尿の汚物の中に住んでいたい、尿の臭いは自分の喜ぶものであると告白した。彼は他のどんな所よりも尿の大桶の中にいて、そこに家を持ちたいものだと言ったのである。
天界と地獄488
神の真理を自分自身の愛に応用して、それを誤謬化した者は尿を愛する、なぜなら尿がそうした愛の楽しさに相応しているからである。鼻持ちもならぬほど(*)貪欲であった者らは小さな室に住んで、豚の好きそうな汚らしいものを愛し、また胃の中の不消化な食物から吐き出されるような悪臭を愛している。ただ快楽の中に生活を送り、みやびやかな生活をし、口と胃とを甘やかして、人生の与える最高の善のような物を愛した者は他生では排泄物と厠を愛し、そこに歓喜を覚えるが、それはそうした快楽は霊的な死であるからである。彼らは清潔で汚れていない所を不愉快に感じるため、そこを避けている。姦淫に楽しさを感じていた者らは、凡ゆる物が下劣で汚らしい娼家でその時を過ごし、そこを愛して、貞潔な家庭を避け、その家庭に入ると必ず気を失ってしまう。彼らには結婚を破壊することほど楽しいものはないのである。復讐を求め、そのため野蛮で残酷な性質をつけてしまった者らは死体のような物を愛して、そうした性質の地獄にいる、その他これに準じている。
*真理を汚すことは尿に相応している、5390。
天界の秘義4628
さらに認識のスフィアが変化した香りについては、その香りは地上の香りのように明らかにかがれはするが、しかしその内部の閉じられている人間には知覚されはしないのである、なぜならそれらは内なる道から流れ入って、外なる道からは流れ入らないからである。これらの香りは二重の起原から、すなわち、善の認識と悪の認識から発している、善の認識から発している香りは庭園の芳香を湛えた花や他の芳香を湛えた物から発散しているかのように強烈なほどに甘美であり、表現出来ない程にも楽しく、また多様であり、天界の天使たちはこうした香りのスフィアの中にいるに反し、悪の認識から発している香りは鼻持ちならぬ水、排泄物、死体から発する悪臭、不快な臭い、または二十日ねずみと南京虫から発する汚らわしい臭いのように強烈な嫌忌感を与えている。このような悪臭のスフィアの中に地獄にいる者たちはいるのであるが、しかも驚くべきことには、その中にいる者はその不快さを認めはしないで、否、その悪臭が彼らには歓ばしく、彼らはその中にいると、その歓喜のスフィアの中にいるのである。しかし地獄が開いて、そこから発散したものが善良な霊たちに達すると、これらの霊たちはこの世でこうした悪臭のスフィアに襲われる者たちのように、恐怖と苦痛とに苛まれるのである。
天界の秘義4631
また、二、三度死臭が私に匂ってきた、私はそれがたれから匂って来るのかと尋ねると、それは凶悪な強盗共や暗殺人や甚だしいたばかりを弄して犯罪をやってのける者らのいる地獄から匂って来ることを告げられたのである。ときにはまた私は糞尿の匂いを嗅いで、それがどこから匂って来たのかと尋ねると、それは姦通者のいる地獄から匂って来るのであると言われた。そして糞尿の匂いが死臭と混合している時は、それは残酷な輩でもある姦通者共から発していると言われた。その他これに類したことが起った。
天界の秘義5390
不潔な排泄物に相応している他の霊もまた、すなわち、世では執拗に復讐を求めた者もいる、これらの者は左の方の前面に私に現れた。この不潔な排泄物にはまた霊的な事柄を不潔な地的な物に引き下げる者らが相応している。このような霊どもが私のもとへ来て、汚らわしい思いを持って来た、彼らはその思いから汚らわしい事を語り、また清潔な事柄を不潔な事柄に歪曲して、そうしたものに変えもした。こうした種類の多くの者は世では最低の階級の者に属していたが、或る者は高い地位の人々に属していた、彼らはその身体の生命の間では人前には実際そうしたことは語りはしなかったものの、それでもそうしたことを考えていたのである、何故なら彼らは恥辱を受け、友情、利得、名誉を失いはしまいかと恐れて、その考えたままを口にすることを控えさせたからである。それでも彼らは互に似通った者の間では、自由になると、最低の階級の者のように語り合い、否、彼らよりも更に汚らわしいことを語り合ったのである、何故なら彼らは一種の知的な能力を持っていて、それを濫用して、聖言と教義の聖い事柄をさえ汚したからである。
真の基督教570
悪魔共は答えた。「凡ゆる者は、たとえ善人、或は悪人と呼ばれるにしても、その者独自の歓喜を持っている。すると天使たちは尋ねた「君達は何を歓ばれますか。」 彼らはそれは姦通、復讐、詐欺、涜神の歓びであると語った。更に彼らは尋ねられた「然しこれらの歓びの性質は如何なるものですか。」 彼らは自らが他の者から排泄物、腐敗した屍体、腐りかかった尿から発する臭気として認められると語った。彼らは問われた、「で、これらは君達には歓ばしいのですか。」 彼らは語った、「さよう極めて歓ばしい」。 「では」と天使たちは語った、「君達はそのような物の中にころげまわっている不潔な獣のようなものです。」彼らは答えた、「そうかもしれない、とにかくこれらの物は我々の鼻には気持ちが良い。」 次に天使たちは尋ねた、「他に何か。」彼らは答えた、「各人は若し善良な霊と天使とを悩まさない限り、己が歓びを、実に彼らの所謂、最も不潔な歓びをすら楽しむことを許されている、然し我々はこの歓びに強いられて彼らを悩ます故、労役所に閉じ込められて、苦しい思いをするのである。この楽しさを失うことが地獄の苛責と呼ばれる内的苦痛を生むのである」。天使たちは更に尋ねた、「何故君達は善良な者を苦しめるのですか」。 「それを抑えることが出来ないからである」と彼らは答えた、「我々は天使を眺め、その周りに主の神的スフィアを認めると、憤怒に駆られるのである」。 この言葉に我々は語った、「それでは君達は野獣のようなものです。」 彼らはその新米の霊が天使たちとともに居るのを眺めると、憤怒の発作が憎悪の火のように彼らを襲った。それ故、彼に危害を加えないように、再び彼らは地獄に投ぜられた。
天界の秘義7161
悪の中におり、そこから誤謬の中にいる者らは悪臭を発していることは、暗殺者と最も執拗な復しゅうを企てている者らのいるところの死体地獄と呼ばれている地獄から非常に明白であり、またそれは姦通者と汚れた快楽を目的としている者らのいるところの、糞尿地獄と呼ばれている地獄からも明白である。これらの地獄が開かれると、そこからは堪えがたい悪臭が放出されるが(4631番)、しかしこうした悪臭も、霊に属している内部を開かれている者以外の者によっては悪臭としては認められはしないのである。
霊界日記3189
尿をもよおさせる者らについて
糞尿地獄
「処女を犯す色情に拉し去られる者らについて」
霊界日記2704−2710
霊界日記2704
目覚めるとすぐ前に、私が依然目覚めているよりもむしろ眠っていた際、たれかが手紙を読んで、私がそれを聞いたが、その手紙の中には処女の糞尿のことが取り扱われていたように私に思われた、私は目覚めると、心は、処女の糞尿についてこのことは何を意味しているかについて、占められてしまった。すると或る霊たちは私と話して、そのことは何を意味しているかを説明した。即ち、世には処女を犯すことにまさって何一つ求めはしないといったかの邪悪な欲念に取り憑かれている者らがおり、処女性または処女の花を盗み取ることが彼らには最大の歓喜であり、それで彼らは処女性を奪い去り、青春の最初の花をもぎとってしまった際、後では彼らを棄て去り、憎悪し、斥けてしまい、或る者らは、ダビデの息子のアモンについて記されているように、また彼らを憎悪し、かくてその生涯の間、処女性を秘かに奪い去る回数が多くなるに応じ、かくて処女を犯す数が多くなるに応じて、益々彼らはそのことを誇るのである。こうしたものが処女の糞尿により理解されている欲情であったのである。
霊界日記2705
これらの者らについて私はその際霊たちと話し合い、以下のことを知らされた、即ち、こうした者らは他の霊たちの間では容赦はされないで、彼らの社会から糞尿のように斥けられてしまい、そのこともまた自然的なものと霊的なものと天的なものとの秩序の法則から確認されて流れ出ており、そのことについて彼らはまた私と話したのである、なぜなら天的な社会はことごとく婚姻愛[結婚愛]に基礎づけられており、その愛から善良な愛と情愛とが凡て発生しており、かくて彼らは無垢に基礎づけられているのである。こうした輩はその欲念をもって無垢の原理のみでなく、愛の原理をも破壊しようと躍起になるのである、なぜならこれらの者は婚姻愛の凡てに全く対立して、これを憎悪するのみでなく、また無垢にも対立して、それを殺すほどに害うからであり、更に彼らは婚姻愛に浸透することが出来る無垢な者たちを後には娼婦として生きるようにしむけてしまい、かくて彼らは内的な性質の殺人者である、なぜなら愛の最初の花は処女を婚姻愛へ導き入れて、夫と妻の心を連結させるものであるからである。霊たちはこうした事柄について私と話したのである。
霊界日記4563
姦通者らの地獄は尻の下に在る。そこにいる者らは糞尿の中にいる。
天界の秘義943
身体の生命の中で快楽そのものを己が目的、目標とし、単に生来の性向に耽り、贅沢と酒宴に生きることを愛し、只自分自身と世のことのみを心にかけて、神的な物を何ら省みず、信仰と仁慈に欠けている者は世で送った生活に似た生活に死後先ず入れられる。左手の前面の、非常な深い所に、凡てが快楽、遊戯、踊り、酒宴、おしゃべりである場所が在る。ここにこのような霊が連れて行かれ、かくて自分は依然世にいるとしか考えない。しかし暫くするとその光景は一変し、かくて彼らは単なる糞尿に過ぎない、尻の下の一つの地獄に落とされる。何故なら他生ではこのような全く形体的な快楽は排泄物のようなものに変わるからである。私は彼らが糞便を運びながら、己が運命を嘆いているのを見たのである。
アルカナ出版/天界と地獄488C
神の真理を自らの愛の弁護に乱用して真理を曲げた者は、尿液を愛好しています。尿は、このような愛からくる楽しみに相応しているのです。貪欲で心を汚した者は、穴ぐらに住み、ブタの汚物や胃のなかの不消化な食べ物から発散するにおいを嗅いで喜んでいます。
アルカナ出版/天界と地獄488D
快楽だけに生きがいを覚え、ぜいたく三昧に暮らし、美食と胃袋の満足を人生最高の宝として愛し、それに身をゆだねた者は、来世では排泄物とトイレに愛好をおぼえます。このようなものが、彼らにとっての歓びになるわけは、以上の快楽が、霊的な汚物に相応しているからです。清潔な場所や汚れが無いところは、彼らを不愉快にするため、避けています。
真の基督教570
悪魔共は答えた。「凡ゆる者は、たとえ善人、或は悪人と呼ばれるにしても、その者独自の歓喜を持っている。すると天使たちは尋ねた「君達は何を歓ばれますか。」 彼らはそれは姦通、復讐、詐欺、涜神の歓びであると語った。更に彼らは尋ねられた「然しこれらの歓びの性質は如何なるものですか。」 彼らは自らが他の者から排泄物、腐敗した屍体、腐りかかった尿から発する臭気として認められると語った。彼らは問われた、「で、これらは君達には歓ばしいのですか。」 彼らは語った、「さよう極めて歓ばしい」。 「では」と天使たちは語った、「君達はそのような物の中にころげまわっている不潔な獣のようなものです。」彼らは答えた、「そうかもしれない、とにかくこれらの物は我々の鼻しは気持ちが良い。」 次に天使たちは尋ねた、「他に何か。」彼らは答えた、「各人は若し善良な霊と天使とを悩まさない限り、己が歓びを、実に彼らの所謂、最も不潔な歓びをすら楽しむことを許されている、然し我々はこの歓びに強いられて彼らを悩ます故、労役所に閉じ込められて、苦しい思いをするのである。この楽しさを失うことが地獄の苛責と呼ばれる内的苦痛を生むのである」。天使たちは更に尋ねた、「何故君達は善良な者を苦しめるのですか」。 「それを抑えることが出来ないからである」と彼らは答えた、「我々は天使を眺め、その周りに主の神的スフィアを認めると、憤怒に駆られるのである」。 この言葉に我々は語った、「それでは君達は野獣のようなものです。」 彼らはその新米の霊が天使たちとともに居るのを眺めると、憤怒の発作が憎悪の火のように彼らを襲った。それ故、彼に危害を加えないように、再び彼らは地獄に投ぜられた。