能力

 

 

1.能力

2.悪の起源は本質的には人間の能力である自主性と合理性の濫用

 

 

 

 

 

1.能力

 

 

天界の秘義2965

 

「かれがヘテの子孫の耳もとで語ったところの」。これは新しい教会に属している者たちの能力に応じて、を意味していることは、『耳もとで語ること』と『ヘテの子孫』との意義から明白である。内意では『語る』ことは認識することも意志する[欲する]ことも意味している(それが認識することを意味していることについては、2619番を、それが意志することを意味していることについては2626番を参照されたい)。しかし『耳』は服従を意味しており(2542番を参照)、ここから『耳もとで語る』ことは、能力に応じて、を意味している、なぜなら能力は受け入れることに依存しており、かくてたれもが認識し、意志する[欲する]に応じて服従することに依存するからである)。

 

 

 

天界の秘義2967[]

 

『商人』と『商品』の意義については、間もなく少しく述べるが、しかしその事柄そのものについては実情は以下のようである。改良され、再生しつつある者たちはことごとく主により仁慈と信仰とを与えられるが、しかし各々の者はその能力と状態とに応じて与えられるのである、なぜなら人間が幼児時代から自分自身に沁み込ませたいくたの悪と誤謬とが在り、そのため人各々他の者と同じ賜物を受けるのを妨げられており、これらの悪と誤謬とは人間が再生することができる以前に剥奪されなくてはならないのであり、そして剥奪された後天界的な霊的な生命の残りのものが在る限り、それは真理をもって明るくされ、善をもって富まされることができるからである。そのとき生命を受けるものは、残りのものであり、それは主から発して人間のもとに貯えられている善と真理である。これらの善と真理とは幼児の時代から改良の時にいたるまですらも或る者には多く、或る者には少なく得られている。これらのものはかれの内なる人の中に保有されていて、かれの外なる人がそれに相応しないうちは、前面にでてくることはできないのであり、相応することは主として試練により、また多くの種類の剥奪により遂行されるのである、なぜならそれらのものに反している形体的なものが(自己と世を求める愛に属しているようなものが)静止しない中は、善と真理とを求める情愛に属している天的なものと霊的なものは流れ入ることは出来ないからである、これが各々の者がその者の状態と能力とに応じて改良される理由である。このことをまた主は外に出て行った人間について言われた譬の中で教えられている―

 

 かれは自分の僕たちを呼んで、彼らにその財産をゆだね、或る者には五タラント、或る者には二タラント、或る者には一タラント与えた、すなわち各々の能力に応じて与えた。五タラントを受けた者はそれで商いをして、他に五タラントを得、同じく二タラントを受けた者も他に二タラントを得た(マタイ25・14−17等)

 

十人の僕についてもまた同じことを教えられている、即ち、彼らに商いの資金として十ポンドが与えられたのである(ルカ19・12.13等)。

 

 

 

 

2.悪の起源は本質的には人間の能力である自主性と合理性の濫用

 

 

神の摂理15

 

善は真理から、真理は善から分離することが出来、また分離したときも依然善と真理のように見える。なぜなら人間は自主性と呼ばれる行動の能力と合理性と呼ばれる理解の能力を持っているから。人間が外面的には内面的な自分とは異なったものとして見られるのはこの能力の濫用によっている。従って邪な人間は善を行い、真理を語り、悪魔も光の天使を装うことが出来る。しかしこの主題については、「神の愛と知恵」を取扱った著作の以下の記事を参照されよ。悪の起源は本質的には人間の能力である自主性と合理性の濫用にある(264−270。