乗る

 

 

天界の秘義3190

 

「かれらはらくだに乗った」。これは自然的な記憶知の上に引き挙げられた[高揚された]地的な部分を意味していることは以下から明白である、すなわち、『乗ること』の意義は地的な部分の方面で高揚されることであり(2761、2762番を参照)、『らくだ』の意義は自然的な人における全般的な記憶知であり(3048、3071番を参照)、かくて自然的な記憶知である。このかんの実情は以下のようである、真理が自然的なものから合理的なものの中へ高揚されるときはそれは世の光の領域から取り出されて天界の光の領域の中へ入れられ、かくていわば夜の薄暗さから日中の明るさの中へ入れられるようなものである、なぜならその中に自然的なもののすべてが存在している天界の光に属しているものは相対的には日の中に在るようなものであり、それで真理が自然的なものから合理的なものの方へ高揚されると、その人間はそれと同時に理知の中へまた知恵の中へ高揚されるのであり、さらに人間の理知と知恵はことごとくこの源泉から発しているからである。これが知的部分が自然的な記憶知の上に高揚されることにより意味されているものである。