西
天界の秘義3708
「海」または「西」の意義は未だ明確でない善であり、かくてそれが初まったさいの善
天界の秘義1453
「海の方にはベテルがあり、東にはアイがあった」ことは主の状態は依然明確なものではなかったことを、すなわち、天的な霊的なものにかかわる知識については依然明確ではなかったことを意味している、なぜなら天的なものの中にいることと天的なものにかかわるいくたの知識の中にいることとは異なっているからである。幼児と子供とは、かれらはその良心に対する愛の中に、相互愛の中に、また無垢の中にいるため、大人以上に天的なものの中にいるが、しかし大人はその中の非常に多くの者は愛の天的なものの中にいないがらも、幼児と子供以上に天的なものにかかわる知識の中にいるのである。人間は愛と信仰とのいくたのものを教えられない中は、かれは明確でない状態の中に、すなわち、知識の方面では明確でない状態の中にいるのであって、その状態がここに海の方面に、すなわち、西にベテルがあり、東にアイがあることにより記されているのである。すでに言ったように、『ベテル』により天的なものにかかわる知識が意味されているが、『アイ』により世的なものにかかわる知識が意味されているのである。天的なものにかかわる知識は、それが明確なものでないときは、『西』にあると言われている、なぜなら聖言では『西』は明確でないものを意味しているからであり、世的なものにかかわる知識はそれが明白であるときには『東に』あると言われている、なぜなら東は西に比較すると、澄明であるからである。西と東にこうした意義のあることを確認する必要はない、なぜならそれはたれにでも確認しなくとも明白であるからである。