忍耐

 

 

1.聖書

2.ルイザ・ピッカレータ

3.暑さ寒さについて

4.トマス・ア・ケンピス

5.ヴァッスーラ

6.怒るに遅く

7.サンダー・シング

8.十字架のヨハネ

9.「あなたの信仰と忍耐」は、真理と真理を取得して教えようとする勉学とを意味している

10.黙ってそれを聞き流すのです。それが怒りを鎮める唯一の薬なのです。謙遜と忍耐をもって沈黙しなさい。相手を罵らないで、もう黙っていられないと思ったら、そこを去りなさい。

 

 

 

 

1.聖書

 

出エジプト記34・5−7

 

主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代(いくせんだい)にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」

 

 

 

詩篇103・8

 

主は憐れみ深く、恵みに富み

忍耐強く、慈しみは大きい。

 

 

 

箴言14・29

 

忍耐によって英知は加わる。

短気な者はますます無知になる。

 

 

 

マタイ10・22

 

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

 

 

マタイ24・11−13

 

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

 

 

 

ルカ8・15

 

良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。

 

 

 

ルカ21・9−19

 

戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

 

 

 

コリント1・13・4

 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

 

 

 

ヤコブ1・2−4

 

わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。

 

 

 

黙示録1・9

 

わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

 

 

 

黙示録2・2−3

 

わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。

 

 

 

黙示録2・19

 

わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。

 

 

 

黙示録3・10

 

あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。

 

 

 

 

2.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P71

1900年12月27日

 

我が娘よ、この状態は、私の力への参加によるものだということを先ず知らなければならない、事実、これほど長いあいだベッドの中でこのような状態にいるための力と忍耐を、誰があなたに与えたのだろうか? 辛抱強くあることだけでも、それが私のしわざであることの確かなしるしである。なぜなら神のみが、変化の主体にならないからである。ところが悪魔と人間の本性は度々変化する。今日愛することを、明日は憎悪する。そして今日は憎んでいることを、満足を見つけたからといって明日は愛するのだから。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P87

1901年1月31日

娘よ、忍耐とは清さを超えたもの。なぜなら忍耐がないなら、霊魂は容易に自分を抑制できなくなり、ゆえに自分を清く保つことがむつかしくなるからである。一つの徳がいのちを保つために、もう一つの徳を必要とするときに人は言う。「最初のものは二番目のものよりも優れている」と。つまり、忍耐は清さの保護者であるばかりでなく、また強さの山を昇るための階段でもある。ある人が、もし忍耐の階段なしに昇ろうとすると、すぐにより高い所から、より低い所に墜落してしまう。さらに、忍耐は持久力の芽でもある。この芽は堅固と呼ばれる枝を産む。忍耐深い霊魂は、なんと着手した善のわざにおいて確固とし、永続的であることだろう! この霊魂は雨であれ、霜であれ、氷でも、炎でも心配しない。彼の関心事は、やり始めた善を最後までやり通すことである。ところが、それが楽しいので今日は善を行うが、翌日はもう興味を感じないのでそれをほっぽり出す、というようなことをする人以上に、ひどい愚か者はいない。

 

 もしも目が、一時間のあいだは視力をもっているが、その他の時は盲目であるとしたら、人は何と言うだろうか? 今は話すが、ほかの時は唖となる舌があったとしたら? そうだ、娘よ、忍耐のみが徳の宝箱を開くための秘密のかぎである。この秘密のかぎなしには、霊魂にいのちを与えて、それを貴いものとするために、他の徳を出すことができない。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P96

1901年3月30日

 

 娘よ、我慢しなさい。すべてを私の望みのうちに、平和な心をもって受諾しなさい。それも少しのあいだではなく、いつまでも。ただ善における忍耐のみが、はたしてその霊魂がまことに徳のある者であるか、そうでないかを分らせてくれる。忍耐のみが、全ての徳を共に一致させてくれる。忍耐のみが、その霊魂を絶え間なく神、徳、そして恩恵に一致させてくれる、と言うことができる。忍耐心とは、鎖のように、内部にあってすべてをいっしょに結びつけ、救いの確かな結び目を形成する。忍耐心がないところでは、非常に恐れなければならない何かがあることになるのだ。

 

 

 

 

3.暑さ寒さについて

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P128

 

イエズスは、強い日射しにまるで気づかないように、なおも瞑想にふけっている。彼が暑さをどの程度感じていたか、ただそれをじっと耐えていたのか、それについては何も分からない。だが、普通の人なら、うんと暑い時や寒い時には、それなりの反応を口に出すが、イエズスはそういう態度を見せたことがない。

 

 

 

 

4.トマス・ア・ケンピス

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・16・1

 

 自分や他人の身において改めることのできぬ所は、神が別の摂理(はからい)をしてくださるまで辛抱忍耐しなければならぬ。

 そして多分これは自分の試練となり、忍耐のためにいっそう役立つのだろうと思うがよい。忍耐がなければ、私たちの功勲(いさおし)はほとんどなんの価値もないからである。

 しかしかような妨げに出会ったならば、神があなたを助け、柔和な心でこれを辛抱させてくださるよう、熱心に祈らなければならぬ。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・16・2

 

もし人に一二度忠告してみて、相手がそれを聞き入れないならば、争わずにすべてを神にお任せするがよい。それは主のみむねが行なわれ、主があらゆるしもべにあがめられたもうためである。神は悪を善に変えることをよくご承知である。

他人のどんな不足や弱点もがまんするように努めるがよい。なんとなればあなたもわが身にそういう所をたくさん持っていて、他人に辛抱してもらわなければならぬからである

わが身さえ自分の望み通りにすることができないのに、どうして他人を自分の思い通りにすることができようか?

私たちは他人に完全を望みながら、自分の欠点は改めようとしないのである。」

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・24・2

 

はずかしめられて、その自分の心の痛みよりも相手の悪意を悲しみ、進んで反対する者のために祈り、心からその不正をゆるし、他人のゆるしをねがうことを躊躇せず、怒りよりもあわれみの情を起しやすく、しばしばきびしく自分を抑え、肉体をまったく霊魂に従わせようと努める忍耐強い人は、大きい、ためになる煉獄の浄めをこうむっているのである。

 いま罪を清め、悪を根絶やしにすることは、未来の清めの時までこれをそのままにしておくよりもはるかにまさっている。

 まことに私たちはむやみに肉体を愛して、自分をあざむいているのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・18・1

 

 わたしの子よ、わたしはあなたを救うために、天から降った。わたしがあなたの苦しみをわが身に引き受けたのは、必要やむを得なかったからではない、むしろあなたを愛したためで、あなたが忍耐を学んで、この世の苦しみを、怨み憤ることなく忍ぶことができるようにと思ってである。

 

 なんとなれば、わたしは降誕の時から、十字架の死去にいたるまで、苦しみのないことは片時もなかったからである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・18・3

 

主のご生涯こそは私たちの道であります。そして私たちは聖なる忍耐をもって私たちの冠でおいでになる主のみ許へ進んで行くのであります。

もし主が私たちの先に立って歩み、私たちに教えてくださらなかったとしたならば、たれがみ後に従おうと努めるでしょう。

ああ、主の輝かしい模範を仰ぎ見なかったとしたならば、いかに多くの人々が落伍したことでしょう。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・19・1

 

第19章侮辱を忍んで真の忍耐を証すべきこと

 

わたしの子よ、あなたは何を言うのか? つぶやくことをやめて、わたしおよび他の聖人がたの苦しみを黙想せよ。

「あなたはまだ血を流すほどに抵抗したことがない。」(ヘブライ書12・4)

かれらはあれほどの苦しみを受け、烈しい誘惑に会い、ひどい災難にかかり、いろいろの試練を経て鍛えられたが、それにくらべればあなたの苦しみなど、物の数でもないのである。

ゆえにあなたは他の人々のいっそうの辛い苦しみを、心に思い起こすがよい。そうすればあなたの些細な苦しみは、なおさら忍びやすくなるだろう。

そしてあなたの苦しみが、もしあなたに些細なものと思われぬならば、これは自身の忍耐が足りないせいではないかと、注意せよ。

しかしその苦しみが大きかろうと小さかろうと、あなたはすべて忍耐するように努めよ。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・19・2

 

苦しみを受ける覚悟をりっぱにすればするほど、あなたの行いはますます賢明となり、従ってあなたの功績(いさおし)もそれだけ加わるだろう。

また勇気と練習によって、油断せずそれに対する準備をするならば、いっそう忍耐しやすくなるだろう。

「私はこんな人間からこんなことをされては黙っていられない。こういうことは我慢ができない。なんとなれば、かれは私に大損害をかけ、私の思いもよらぬことで私を責めるからだ。しかしこれがだれか別の人からで、私がこれは当然忍耐すべきものだと認めた場合ならば、私は甘んじて耐え忍ぶのだが」などと言ってはいけない。

 こういう考えは愚の骨頂で、忍耐の徳や、この徳に栄冠をお与えになるお方のことは思わずに、むしろ自分の受けた侮辱や、これを加えた人のことばかりを念頭においているに過ぎない。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・19・3

 

気に入った相手に対して、気に入っただけは忍耐するが、その外はご免をこうむるというような人は、決してほんとうの忍耐を有しているとは言われない。

 ほんとうに忍耐強い人は、自分を苦しめる相手が、自分の目上であろうと同輩であろうと目下であろうと、また善良で聖なる人であろうと、邪悪でつまらない人間であろうと、一向に頓着しない。

 そういう人はいかなる被造物から、いかに多く、いかにたびたび苦しめられても、すべて神のおん手から出たものとして、感謝して受け、それを一大利益と考えるのである。

 なんとなれば、神のために忍耐すれば、それがどんなに小さなことであっても、神はかならず報いを与えずにはおおきにならないからである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・35・2

 

あなたはもしこの世から安息を求めるならば、どうして永遠の安息に達することができようか?

 多くの安息を得ようとせず、大なる忍耐をする覚悟を定めよ。

 真の平安は、地上でなく天上に、人間その他の被造物でなくただ神にのみこれを求めよ。

あなたは神を愛するために、喜んでいっさいを忍ばなければならぬ。労苦(ほねおり)、悲哀(かなしみ)、誘惑(いざない)、悩み、心配、窮乏、疾病(やまい)、不義、誹謗(そしり)、非難、侮辱(はずかしめ)、慙愧(はじ)、懲戒(こらしめ)、および軽蔑(あなどり)など、すなわちそれである。

 これらはあなたが徳を積む助けとなり、キリストの弟子を試し、天の栄冠を造る。

 わたしはあなたの短い労苦に対して、永遠の報賞(むくい)を与え、一時の侮辱(はずかしめ)に対して無窮の光栄を授けるのである。

 

 

 

 

5.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P357

‘87・10・5

 

主よ、私は全くふさわしくありません、至らない者で、あらゆる善に欠けています、そのためみ前であなたに背いています、こうした私をどうぞお許し下さい。

 

すっかり赦す♡

 

愛しております。尊い主よ。

 

私を愛していると言うたびに、私はあなたのみじめさをすべて見過ごす、それを見ないで 我が聖なる義があなたを打つこともくいとめる、ヴァスーラ、それは実にあなたが言葉に尽くせないほどみじめだからです ♡ 愛していると伝えるたびに、私は怒りをなだめるのです ♡

 

(イエスはきびしいご様子でした。私は主を恐れました。)あなたが恐ろしいです。

 

♡ 私は愛 それゆえ怖れないように。

 

ああ イエスよ、私がこんなに悪く恩知らずで悪意に満ちていなければいいのですが。

 

あなたを憐れむ そしてあなたに怒りの炎をめったに燃え上がらせないのは この憐れみによる。 ♡

 

私にたいする一滴のお恵みにも、ふさわしくないことを知っています。あなたは私に良すぎたのです。忍耐強く、私に決して怒りをお表しになりませんでした。あなたは、私が間違っていても愛してくださるだけです。私を甘やかしておられます。

 

ヴァッスーラ 私の慈悲(いつくしみ)とはそういうもの!

 

 

 

 

6.怒るに遅く

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P21

‘89・10・23

自我

 

私です、決して疑わないように。 どれほどあなたを愛するか! 与えてくれるこの小さな信仰は あなたが毎日捧げる花束のようです ♡ 私はこうしたやり方で(*)それを受け取る、小さな者よ 私に何も拒んではならない。 あなたの神 私のように怒るに遅く、善を行う時だけ素早いように、私に忠実でありなさい。 

 

    イエスは毎日主のもとを訪れ、手を使っていただくことを仰しゃっています。

 

 

 

 

7.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P155

 

愛の本源

1.神は愛の本源である。世界を宇宙空間に保ち続けている引力は、いわば、愛であり神に源を発する霊的引力の物的表現である。磁石が鉄を引き寄せるのは、鉄が磁力に対する感応力をもっているからである。金はこれに反応しない。金は貴金属であっても磁力に対する感応力をもたないからだ。同じように、神は心底悔い改め神に感応した者を、罪の重さに関わりなく御元に引き寄せ、自分を義人と思い込み神の愛の支配力に心開かぬ者たちは引き寄せにならない。

 

 

2.接吻は子に対する母の愛の外的しるしだが、子が伝染病にかかれば母は接吻を控えるだろう。それでも、苦しむわが子に対する母の愛は、少なくなるどころかますます燃え上がる。子は、母の愛と気遣いをいつも以上に必要としているからだ。同じように、神は、罪という伝染病にかかった人々を見捨てているようにみえても、彼らに向けられる神の愛は、子に対する母の愛よりも限りがない。神の忍耐もまた限りがない。人はちっぽけなヤカンのように、ごくささいなことにもすぐに湯気を立てるが、神はそうではない。神がそんなに短気だったら、この世はとっくの昔に灰と化していただろう。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P432

 

「悪に刃向かうな」

われわれを害する悪人に抵抗すれば、どちらも益することなく、かえって二つの列車が正面衝突するように、両方とも破壊される。だが、抵抗せずに耐えれば、十字架を負う側は霊的に益し、一方、迫害する側は許しの精神に影響されて真理に近づく。実際、この種の方法によって、多くの悪者たちが生き方に変化をみた。

 

 

 

 

8.十字架のヨハネ

 

 

ドン・ボスコ社/十字架の聖ヨハネ小品集/P163

 

何か不愉快なこと、いやなことが起こったならば、十字架につけられたキリストを思って沈黙しなさい。

 

 

 

 

9.「あなたの信仰と忍耐」は、真理と真理を取得して教えようとする勉学とを意味している

 

 

啓示による黙示録解説77

 

「あなたの労苦と忍耐」(黙示録2・2)。これはかれらの勉学と辛抱強さとを意味することは説明なしに明白である。

 

 

 

啓示による黙示録解説129

 

「あなたの信仰と忍耐」(黙示録2・19)は、真理と真理を取得して教えようとする勉学とを意味している。『信仰』は真理を意味することは前に見ることができように(111番)、そしてこうした場合忍耐はそれを取得して教えようとする勉学と労力とを意味することが結果として生まれてくる。

 

 

 

啓示による黙示録解説185

 

黙示録3章10節。「あなたはわたしの忍耐の言葉を守ったため」は、彼らは悪と戦って、誤謬を斥けたために、を意味している。『忍耐の言葉』が試練と呼ばれる霊的な争闘を意味していることは、次に記された『わたしもまた(これから)起こる試練の時からあなたを守ろう』から明らかである、なぜなら世で試練を受ける者は死後試練を受けはしないからである。試練である霊的争闘は主の忍耐または辛抱の言葉と呼ばれるのは、試練においては主は人間のために戦われ、その聖言から発している真理によって戦われるためである。

 

 

 

 

10.黙ってそれを聞き流すのです。それが怒りを鎮める唯一の薬なのです。謙遜と忍耐をもって沈黙しなさい。相手を罵らないで、もう黙っていられないと思ったら、そこを去りなさい。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P90

 

(従兄弟のヤコボ)「彼が私を年端のいかぬ子供のように扱うときでもですか? 普段はともかく彼はときどき常識外れなことを言いますよ」

 

(イエズス)「黙ってそれを聞き流すのです。それが怒りを鎮める唯一の薬なのです。謙遜と忍耐をもって沈黙しなさい。相手を罵らないで、もう黙っていられないと思ったら、そこを去りなさい。黙ることを知り、逃げることを知る。これは卑怯のためではなく、返答に窮したためでもない。ただ徳のため、賢明のため、謙遜のためです。議論のとき、正義を守るのは決して易しくないし、心の平和を守るのも難しい。

 

何時でも何かが心の中を濁し、雑音を立てる。そのとき人間の心に反映している神のかたどりは消えてゆき、もう神のことばを聞くことができない。兄弟の間の平和! 敵に対しても平和。彼らが我々の敵であればサタンの友だちである。自分を憎む人を憎んで、自分もサタンの友人になりたいのですか。愛から外れている人が、どうして他人を愛へ導くことができよう。

 

あなたたちはよく私に言う。『イエズス、あなたは何回も教えを繰り返すだけでなく、それを実行しておられるのに、それでもあなたは憎まれている』と。私はこのことを何時も繰り返そう。何時かあなたたちと一緒にいられなくなるときには、この教えを天から聖霊を通して繰り返そう。我々は敗北ではなく勝利を教えたい。このために神を賛美しよう! 回心者がいない日はなかったか、神の働き手はこれに注意すべきで、うまくいけば主をたたえ、勝利を手にしないときも世間の人々のように平和を失うことがないように。そうすれば・・・」