人間的解釈
ペトロ2・2・1−3
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。
ペトロの手紙2・1・20−21
何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
テサロニケ2・2・3−4
だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。
テモテ1・4・1−3
しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。
テモテ2・3・1−5
しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。
聖母から司祭へ1976.4.13
あなたがたの中のどれほど多くの司祭たちが、み言葉を研究しながら、ただ人間的な知識だけでそれを理解しようとして、知らず知らずのうちにますます大きな誤謬に陥ったからをごらんなさい。
わが子のみ言葉を人間的知識のみで読むべきではありません。
聖母から司祭へ1981.4.17
イエズスをただの人間としてだけ認めようとする試みは、今も続いています。多くの人が、主の神性を否定して、その神的なみことばを人間的な解釈で引き下げます。そこには、すべての奇跡を自然的な見地から解釈し、その歴史的な事実である復活さえも否定しようとする傾きがあります。
結局、キリストの裁判は、まだ続いているのです。そして、今も、あの昔と同じ卑劣で不正な断罪が繰返されています。
聖母から司祭へ1985.2.9
聖書、特に聖福音に収められた、この神のみことばだけが、あなたたちを導くべき光でなければなりません。
しかし現在、人間的な解釈や見方によって、またしばしば全体的に完全に紹介されないために、たくさんの疑問が生じています。
迷いは広がり、あなたたちが神のご計画に接するとき、理性によってのみ考えようとして、あまりにも人間的な対応を取るため、完全にこれを理解することができなくなります。
この態度は、傲慢によるもので、神の偉大な神秘に近づくことを、もっとも妨げるものです。
その真理を理解するには、小さなもの、正しくこれを見定めるには、貧しいもの、全体を会得するには、素直なものでなければなりません。これを間違いなくそのまま他人に伝えるには、謙遜でなければなりません。このため、わたしは、わたしのことばをもって、あなたたちを謙遜に、素直にまた、小さなものとして育てます。
聖母から司祭へ1988.2.2
聖書、特に、イエズスの福音書が暗闇のこの時に、あなたたちを照らすただ一つの光となりますように。福音を信じなさい。福音に生きなさい。福音をそのまま完全に伝えなさい。
人間的な、唯理主義的、自然主義的な解釈によって、イエズスの福音を八つ裂きにしたわたしの多くの子らのひどいうらぎりと、拡がっていく謬説に対して戦いなさい。
こうして、わたしの愛する子であるあなたたちは、今こそ文字通り生きぬいて、伝えられたままの唯一の福音となりますように。
そうすれば、あなたたちを通じて、信仰の光は再び輝きはじめ、わたしは、あなたたちのうちに光栄を受けます。
聖母から司祭へ1991年6月8日
聖マリアの汚れなき御心の祝日
最後の時代の使徒たち
今日、あなたたちは、わたしの汚れなき心の典礼上の記念を祝っています。
これは、わたしに奉献された最愛の子らであるあなたたちの祝い日でもあります。
あなたたちは、勝利を得るわたしの軍隊に入るように、わたしから選ばれ召されています。
あなたたちは、わたしの遺産の一部分です。
わたしは、あなたたちのために、大きな計画をもっています。
このわたしの計画は、そのこまかいところまで、あなたたちに示されました。
教会と全人類の前で、この計画は、その完全な輝きをもって現れなければならないのです。なぜなら、今この時代は、あなたたちの成熟と、あなたたちの公の証の時だからです。
わたしに奉献されたこの最後の時代の使徒として、あなたたちをすべての人に示しなさい。
最後の時代の使徒として、あなたたちは、カトリックの信仰上のすべての真理を勇気をもって告げ知らせ、福音を力づよく宣言して、危険な異端説をいさましくあばかねばなりません。
異端説は、人の知恵をあざむき、真理を装って、わたしの子らの大多数を、まことの信仰から遠ざけるのです。
最後の時代の使徒として、あなたたちは、小さな人たちの力をもって、高ぶっている人や学者たちの高慢な力に対して戦わねばなりません。かれらは偽りの学問と虚栄心にそそのかされて、イエズスの福音をずたずたにひき裂き、福音の理論的、人間的な、完全にまちがった解釈を提供しました。
使徒聖パウロが予言したあの時、すなわち、多くの人が誤った、変わった説を告げ知らせるその時が来たのです。それで、人々はこの人たちの作りばなしにのせられて、福音の真理から離れてしまうのです。(後略)
聖母から司祭へ1992・12・31
第一のしるしは、謬説が広められることで、その謬説は、信仰を失わせ、棄教へと導きます。
それらの謬説は、もう福音の真理を教えることなく、人間的なまちがった説にもとづく有害な異端説を教える偽の教師と、名高い神学者たちから宣伝されます。
これらの謬説が教えられる結果、当然まことの信仰が失われ、大棄教が、どこにでも広がって行くのです。
「あなたたちは、人にまよわされないように気をつけなさい。
多くの人が[私の名を語り、“私こそキリストだ”と言って、]おびただしい数の人を迷わすだろう。多くの偽預言者が起(た)つであろう。かれらは、憎むべき異端をひそかにもちこみ、自分たちをあがなった主ご自身を見すてて、すみやかに亡びを招き、多くの人々は、かれらの放蕩にみならう。こうしてかれらの[悪事]のために、真理の道(キリスト教の信仰)は侮辱されるであろう。かれらは、貪欲のために、たくみなことばであなたたちを利用するであろう。」(ペトロ後2・1−3)