妬み

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストにならいて/1・7・3

 

謙遜な人にはいつでも安らかさがある。しかし高慢な者の心にはしばしば憤怒(いかり)と嫉妬(ねたみ)とが巣食うているのである

 

 

天界の秘義1974

 

 このようにして邪悪な者は善良な者の祝福を遠くから見るときには、単にそれを考えるときでさえも、単に嫉妬心によりいかほど苦しめられるかが示されたのである。

 

 

天界の秘義3410

 

「ペリシテ人は彼を妬んだ」。これは単なる知識の記憶知の中にいた者らは把握しなかったことを意味していることは以下から明白である、すなわち、『妬むこと』の意義は、ここでは以下の記事から明白であるように、把握しないことであり、『ペリシテ』の意義は知識の記憶知であり、かくて『ペリシテ人』によりこの記憶知の中にいる者らが意味されている(1197,1198番)。

 

 

天界の秘義3906

 

「ラケルはその姉を妬んだ」。これはそれが外なる真理のように承認されなかったという憤怒を意味していることは以下から明白である、すなわち、『妬むこと』の意義は憤怒を表していて、それは彼女がレアのように子を生まなかったためであり、ラケルの表象は内的な真理であり(3905番を参照)、ここではレアである『姉』の意義は外なる真理である。(レアが外なる真理であることについては、前の3793、3819番を参照)。再生しつつある者たちの実情は以下のようになっている、すなわち、かれらは内なる真理とはいかようなものであるかを知るために学びはするが、最初はそれに従って生きようとするような信仰をもってそれを承認しないのである。なぜなら内なる真理は霊的な情愛に連結しており、霊的な情愛は外なる真理が内なる真理に適応されて[適用されて]それに相応しない中は流入することはできないからである。