霊界日記6106

 

 幾多の場合、或る女が私のもとにいた、彼女は以下のように言いもし、信じもしていた、即ち、長い間自分は結婚した配偶者を愛することは不可能である。なぜならそれは普通の事柄となり、絶えず許されるからである、と。しかし彼女は以下のように答えられた、天界では―そこでは姦淫は嫌悪されているため、そうしたことは存在しないのであるが、そこでは―その普通のことであることそのことが歓ばしいものとなっており、彼らは、そのことがいつも許されているため、また天界の甘美がそうした時に感じられるために、彼らはその結婚した配偶者を愛しているのである、と。

妻に対し覚える普通のことといったこうした感情が起って来ることは姦通者らには知られており、それで、そうした普通のことといった知覚が除かれて、姦淫の色情が起こってくるようにと、彼らは妻が拒絶することを、実に、妻がそれを好むことを拒絶して、抵抗することを望むのであり、その時は、その普通のことから、いわば、姦淫の色情が起こって来るのである。実に、強姦に、従って、不法な状態に快楽を覚えている者らはその妻がその夫に抵抗し、逃げ去り、夫が彼女に暴力をもって迫り、彼女の衣服を引き裂きもするが、彼女が依然抵抗することを望むのである。こうした場合、女は猫に譬えることが出来よう、猫もそのように戦い、叫び出し、逃げ去るが、そのことにより能力が雄猫の中に掻き立てられ、その時雌猫は捕まったままにおとなしくなるのである。

 

 

 

 

霊界日記6110(4)

 

 男は女が拒絶することを望んでいる多くの理由。或る者らのもとではそれは凌辱しようとする色情であり、或る者のもとではそのことにより能力を掻き立てることである。それは色々の原因から、特に精神的な原因から起っている。 彼らは終いには猫のようになる、猫は互に他を引き裂き合い、静止し、互に他を凝視し、悲しげにうなり声を立て、密かにそのことを行おうとするのである。女たちはそのことが明らかにされると狂ったように怒るのである、彼女らは、自分らはそれを望んではいないことを、恰も内的な意志が言明するようにも言明する。その理由はもし彼女がそうしたことをしないなら、能力が消滅してしまうためである。

 

 

 

霊界日記6110(5)

 

 姦淫は罪ではないという、心に抱かれる単なる結論は人間を姦通者としてしまう、そのことは「生命の教義」(*)の中でこの主題について言われた事柄から示されている。心における結論はことごとく身体礼拝の努力を構成し、努力は本質的な行為である。

 私は、猫について、猫はなぜそうした性質を持っているのか、と尋ねた。以下のように述べられた、雌の猫のもとでは、先ず戦う快楽が掻き立てられ、そのことが雄の猫から観察され、そしてそのことが過ぎ去ると、交接が起こるのである、と。

 

*『生命』63、74−77