マルコ4・16−17

 

 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。

 

 

天界の秘義1846

 

 試練もまた主により『苦悶[苦しみ]』と呼ばれている、たとえばマルコ伝には―

 

  石地に播かれた者は、聖言を聞いたとき、自分自身の中に根をもっていないで、しばらくの間堪えはするが、後に聖言のために苦悶[苦しみ]と迫害とが来ると、たちまちつまづくのである(4・16、17)。

 

 ここの『苦悶』は明らかに試練を意味しており、『自分自身の中に根をもたない』ことは仁慈を何ら持っていないことである、なぜなら仁慈の中に信仰が根をはるのであって、この根の支えを持っていない者らは試練において屈服するからである。

 

 

天界の秘義1861[5]

 

マラキ書にはー

 

  見よ、その日は炉のように燃えながらくる、すべてたかぶっている者は、また邪しまなことを行う者はことごとく切株となるであろう、そのくる日は彼らを燃やし、彼らには根も枝も残さないであろう(4・1)。

 

 ここの『燃える炉』も前と同じことを意味し、『根』は仁慈を、『枝』は真理を意味しており、それは残されはしないのである。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P17

‘88・8・26

 

イスラムの過激派、二人のインマムスとシャイクとの会合に招待されて、神学者の友人と行ってきました。すべては私を陥れ、ひそかに悪魔払いをするために仕組まれたもので、彼らはそれを実行しました。悪霊が私の中に見つからないと、気を損ねて、大変攻撃的になりました、特に彼らのためにメッセージを受け取った時には、愛のメッセージを。私が全く穏やかなのでますますいらだち、私を嘘つき、詐欺師と非難します。「きさま、私の主は愛の神ではない。」と彼らは言うのです。神学者の友人と静かに立ち上がり、出て行きました。スイスでなかったら、殺されていたでしょう。主よ?

 

♡ 我がヴァッスーラ、愛が優先する、私は愛の神、根には愛があると教えたのを覚えているか? よい木はよい実を結ぶという譬えを示した、この木は完全な木である、根が愛からなり、枝はすべて徳を表し そのすべては善いからだ、愛の根がなければ、この木には徳がなく 実もならない、実がなかったり腐ったりしているなら、我が子よ 知るように、その根は 存在する最もよくない邪悪なもので出来ていると。 はっきりと言う、すべての徳の根は愛(LOVE)と呼ばれている、私はあなた方を美しく飾り、養う根源、来て私のうちに留まるまら 永遠の生きる! ♡♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P80

‘88・12・3

 

♡ 私を愛する者は 我が愛のうちに成長してゆき、一方彼らは私を愛するよう 他の者たちも連れて来れるようになる ♡ 我が聖心は愛の炎で燃え立ち その深淵に皆を引き入れようと切望している。 愛に渇く。 あなたに求めるのは愛のみ、愛は有徳の木の根だから。 来なさい、私と和解していないすべての者たち、来なさい、来て和解し 私自らの平和を受けなさい、来て 我が愛を共有しなさい、まだ私を理解していない者たちよ 来て、私と和解しなさい(ヨハネ14・27)、来て 愛と和解しなさい ♡ 私、あなたの主イエス・キリストは あなたに我が光の子となってほしいと願っている、そう、私を尊ぶ 平和と愛の弟子となって、