内的な人

 

 

 

天界の秘義978

 

 

 

天界の秘義1015

 

「あなたらは生みなさい。ふえなさい」。

 

これは内的な人における善と真理との増大を意味しており、『生むこと』は善について、『ふえること』は真理について述べられていることは、同じ言葉が用いられている、前の本章の一節に示されたことから明白である。増大は内的な人の中に在ることは以下の記事から姪這うであり、そこには再び『あなたらはふえなさい』と言われているが、こうした繰返しは、もしそれが記されていることとは明確に区別された、何か特別なものを意味していないならば、よけいなものであるため、不必要なものである。このことから、また前に言ったことから、生むこととふえることとはここでは内的な人における諸々の善と真理とについて述べられていることが明白である。内的な人と言ったのは、前に示されたように、主のみのものである天的な霊的なものについては、人間は内なる人であるが、しかし合理的なものについては、人間は内的な、または中間の人であり、内なる人と外なる人との間の媒介的なものであり、善の情愛[善を求める情愛]と記憶の知識については、外なる人であるからである。こうしたものが人間の性質であることは本章の序言に示されたところであるが(978番)、しかしかれが身体の中で生きている間はそのことを知ってはいないのは、かれは身体のいくたの物[事物]の中にいて、そこから内的な物[事柄]が在ることを知りさえもしておらず、ましてそれらの物がこうして明確に区別されて、分離した秩序の中におかれていることを知っていないためである。それでも反省するならその事実はかれが身体から引き出された思考の中にいて、謂わば霊の中に考えている時、かれに全く明白になるであろう。生むことと増大することが内的な、または合理的な人について述べられている理由は、内なる人の働きは内的な人の中に極めて全般的に認められる以外には認められはしないということである。なぜなら内的な人の中には無数の夥しい個々のものが一つの全般的なものとして、事実極めて極端に全般的なものとして目に見えるように示されているからである。その個々のものは如何に無数であるか、その性質は何であるか、それらはいかようにして明確でない、全般的な全体として現れているかは、前に示されたことから明白である(545番)。