長生きと短命

 

 

知恵の書4・7−20

 

 

 

人間の生命の存続期間について、なぜ長生きする者がいるか、短命に終わる者がいるか、について

 

霊界日記5002

 

 人間各々の者の生命は、その者はいかほど長く生きるか、またいかように生きるか、については、主により先見されており、それでかれは永遠に至る生命に関連して幼な児の時代の最初期から主により導かれているのである。それゆえ、主の摂理は幼児の時代の最初期から始まっている。

 

 

霊界日記5003

 

少年として死ぬ者がおり、青年として死ぬ者があり、大人として死ぬ者がおり、老人として死ぬ者がいる理由は以下のものである、すなわち、第一に、人間に対する用のためである、第二に、かれが世にいる間に、霊たちと天使たちとに果す用のためである、なぜなら、人間はその内部の方面では、霊たちとともにおり、世にいる限り、そこにおり、世の中に霊界の凡ゆるものが終結しているからである、第三に、世で自分自身に対し果す用のためである、すなわち、自らが再生するためであるか、または、その者の悪が眠りにつき、後になって爆発し、そのため永遠にその者が死滅してしまうことがないように、その者の悪の中に入れられるか、その何れかのためである、第四に、それゆえ、死後、永遠に至る他生における後の用のためである、なぜなら天界にいる者は各々巨大人の中にその所を得るか、他方、かれは地獄にその所を得るか、するからである。それで力が消滅しているところでは、その力は均衡を得ており、人間は、主の摂理により、そこへ連れられて行くのである。かくてまた、主の王国が顧慮されており、その王国の福祉が普遍的な摂理である。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・1・4

 

 それゆえ滅ぶべき財宝(たから)を求めて、これを頼みにするのはむなしいことである。

 名誉にあこがれて高い地位にのぼるのはむなしいことである。

 肉欲にふけって、いつかきびしい罰を受けなければならぬ悪事を求めるのはむなしいことである。

 長生きすることばかり望んで、善良な生活を送るよう心がけないのはむなしいことである。

 この世のことばかり考えて、後の世の用意をしないのはむなしいことである。

 たちまちに過ぎ去るものを愛して、終わりのない歓楽(よろこび)の所に向って急がないのはむなしいことである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・1・5

 

 しばしば次の賢人の言葉を思い出すがよい、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに満つることがない」(伝道書1・8)と。だから目に見える物を愛する念を去り、見えない物に心を向けるがよい。なんとなれば、五感の欲に従う者はその良心を汚し神の恩恵を失うからである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・23・2

 

 私たちの心を改めることがかように少ないならば、長生きしても何の役に立とう?

 ああ、長生きしてもかならず非を改めるとはかぎらず、かえってしばしば罪を増すのである。

 どうか私たち、ただの一日でもこの世で清く生きてみたいものである。

 多くの人は自分の発心以来の年数を数える。しかしその自分を改めた効果はしばしばきわめて少ないのである。

 もし死ぬのが恐ろしいならば、長生きするのはもっと危険だろう。

 いつも死ぬ時のことを目の前に描き、毎日死ぬ準備を怠らない人は幸いである。

 人が死ぬのを見たら、自分も死出の道を行かなければならぬことを思え。