無視される

 

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・49・4−6

 

 あなたは自分の好まぬことをし、好むことをせずにおかなければならぬことがしばしばある。

 他人(ひと)の喜ぶことはうまくいって、あなたの喜ぶことはうまく行かない、という場合もあろう。

 他人の言うことは聞きいれられて、あなたの言うことは相手にされぬ、という場合もあろう。

 また他人は求めて与えられ、あなたは求めてこれを得ない、という場合もあろう。

 

他人は大いに人々の賞賛を博するが、あなたは黙殺されるということもあろう。

 他人はあれやこれやといろいろ委ねられるが、あなたは役立たずと思われることもあろう。

 本性は時としてこういうことを恨めしく思うが、それを黙ってジッとこらえるならば実に偉大なことである。

 こういうこと、およびこれに似た多くのことで、主の忠実なしもべは、どれほど自分を捨てることができるか、またどれほど万事において自分を枉げることができるかを試されるのがつねである。

 

 自分の意志に逆らうことを見たりこらえたりするときほど、あなたが自分に死することを必要とする場合はほとんど他にあるまい。わけてもあなたに不適当で、ほとんど無益と思われることを命じられる場合は、特にそうである。

 そしてあなたは、権威の下にあって上の権力に抵抗することができないから、それで他人の指図のままに動き、まったく自分の意志を捨てることがつらく思われるのである。

 

しかしわたしの子よ、こういう苦労の結果と、それが速やかに終わることと、そのきわめて大きい報償(むくい)とを考えて見るがよい。そうすればあなたは、それを苦にせず、かえって忍苦のうちにもはなはだ強い慰めを感ずるだろう。

 なんとなれば、いまあなたが進んで自分の意志をほんの少し捨てたばかりに、天国では永遠に自分の意志を通すことができるからである。