真の基督教439

 

天使の眼には純粋な善は紫色を呈しているが、功績によって腐食された善は錆のように見える。善は報酬を望んで為されてはならぬことを主は以下の記事によって教え給う。「汝等おのれに善を為す者に善をなすとも、何の感謝を得べき。汝らは仇を愛し、善を為し、何をも求めずして貸せ。然らばその報は大ならん。かつ至高者の子たるべし。至高者は感謝を知らぬ、悪しき者にも仁慈あるなり。」(ルカ6・33−36)善良な人間は主によらない限り、真に善なる善を為し得ないことを、主はヨハネ伝に教え給う。「我に居れ、然らば我汝の中に居らん。枝もし樹に居らずば、自ら実を結ぶこと能はぬごとく、汝らも我に居らずば亦然り。汝ら我を離るれば、何事をも為し能はず。」(ヨハネ15・4,5)他の場所には、「人は天より与えられずば何も受くる能はず。」(ヨハネ3・27)