村
天界の秘義3270
「かれらの村における」。これは教会の外成る事柄を意味していることは、『村』の意義から明白であり、それは信仰の外なるものであり、かくて教会の外なるものであるそれらの事柄である、教会の外なる事柄は祭儀であり、内なる事柄は、もし教義的な事柄が単に記憶知のみのものでなくて、生命のものでありさえするなら、その教義的なものである。外なる事柄は、村は都[町]の外側に在ったため、村により表象されたが、しかし内なる事柄は都[町]そのものにより表象されたのである。(『都[町]』は教義的な事柄であることは、前の402、2268、2449、2712、2943、3216番に見ることができよう)。