杜の中での礼拝
天界の秘義4288[3]
表象的な教会では神礼拝は杜[木立ち]の中でもまた行われたが、それは杜が霊的な愛を意味し、その最高の意義では主のこの愛の方面を意味したからであり(2722番)、かれらが杜で礼拝を捧げていた時は、それと同時に霊的な愛の中にもいたため、その聖い状態の中にいたのである。