もも
天界の秘義2021
「ねがわくはあなたの手をわたしのももの下に入れてください」。これはそれをその力に応じて結婚愛[婚姻愛]の善に誓約させることを意味していることは以下から明白である、すなわち、『手』の意義は力であり(878番を参照)、『もも』の意義は結婚愛[婚姻愛]の善である(そのことについては以下の記事に述べよう)。それはその力の限り誓約することであることは、以下の事実から明白である、すなわち、結婚愛に関連した何ごとかに誓約させられた者たちは、その者たちが誓約させられている相手の者のももの下に、古代の祭儀により、その手をおき、そのようにしてかれらはその相手から誓わされたのであるが、これは『もも』が結婚愛を意味し、『手』は力を、また能う限り、を意味したという理由によっていたのである、なぜなら人間の身体の凡ゆる部分は、前に示されたように(2996、2998番)、また今後主の神的慈悲の下に、さらに充分に示されるように、天界であるところの巨大人の霊的な天的なものに相応しているからである。ももそれ自身は腰とともになって、結婚愛に相応しているのである。これらのことは最古代の人々には良く知られており、それでかれらはこの相応に基礎づけられて祭儀をもっていたが、その中の一つはかれらが結婚愛の何らかの善に誓約させられるとき、ももの下にその手を入れるということであったのである。
天界の秘義4280[4]
ももにより、また腰により意味されている結婚愛の何であるかは前に見ることができよう(995、1123、2727−2759番)、結婚愛は凡ゆる愛の中でも根元的なものであることは686、3021番に見ることができよう、ここから純粋な結婚愛の中にいる者たちはまた天的な愛(すなわち、主に対する愛)の中におり、また霊的な愛(すなわち、隣人に対する仁慈)の中におり、それで結婚愛によりこの愛そのものが意味されているのみでなく、また天的な霊的な愛のすべてが意味されているのである。これらの愛は内なる人が外なる人に連結するとき、または霊的な人が自然的な人に連結するとき自然的な善に連結すると言われている。この連結が『もものくぼみ』により意味されているものである。ヤコブのもとにまた全般的にその子孫のもとにこのような連結がなかったことは以下の記事から明らかとなるであろう、なぜならこのことがここの内なる歴史的な意義の中にとり扱われている主題であるからである。
霊界日記6110(20)
いかようにして夫の生命が妻へ、ももを経て、愛により入っていくか。いかようにしてそのとき真理が善になり、または理解が妻の意志になるか、またいかようにして、ついには、夫の理解が妻の情愛の形となるか。かくて妻はアダムの肋骨から作られ、アダムが、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉と言ったことが、または、かれらは一つの肉となり、男はその妻に密着しなくてはならないことが、いかように理解されなくてはならないか。