黙示録第9

 

 

黙示録9・1−6

 

第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、 それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。 そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。

 

 

 

黙示録9・7−11

 

さて、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、五か月の間、人に害を加える力があった。いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。

 

 

 

黙示録9・12−19

 

第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、更に二つの災いがやって来る。

 

第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた。

 

その声は、ラッパを持っている第六の天使に向かってこう言った。「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ。」四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放された。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意されていたのである。その騎兵の数は二億、わたしはその数を聞いた。わたしは幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。彼らは、炎、紫、および硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄とを吐いていた。その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。馬の力は口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである。

 

 

 

黙示録9・20−21

 

これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。また彼らは人を殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを悔い改めなかった。

 

 

啓示による黙示録解説P500

 

全章の内容

 

 仁慈から分離した信仰と信仰のみによる義認と救いとを確認することから、学問があり、賢明な者であると呼ばれている改革派教会内の者らの生命〔生活〕の状態を点検し、明らかにすることについて(これらは1−12節に取り扱われている)。

 それほど学問はしておらず、また賢明ではないが、信仰のみについて、好き勝手に生きている改革派教会の者らを点検し、明らかにすることいついて(13−19節)。

 最後に、信仰が人間を救う一切である、ということのみしか知らず、その他には何ごとも知っていない改革派教会内の者らについて(20、21節)

 

 

各節の内容

 

黙示録9・1

『第五の天使が鳴らした』は、仁慈から分離した信仰と信仰のみによる義認と救いとを確認することにより、学問があり、賢明であると言われている改革派教会の者らの生命〔生活〕の状態を点検し、明らかにすることを意味している(419番)。 『そして私は一つの星が天から地に落ちるのを見た』は、天界から彼らのもとにおける教会へ流れ入り、点検し、明らかに示す霊的な神的真理を意味している(420番)。 『彼に深淵の坑の鍵が与えられた』は、彼らの地獄を開くことを意味している(421番)。

 

 

黙示録9・2

『彼は深淵の坑を開くと、大いなる炉の煙のような煙がその坑から立ち昇った』は、彼らの悪い愛からほとばしり出てくる自然的な人の幾多の欲念の誤謬を意味している(422番)。 『陽と空気とはその坑の煙から暗くなった』は、かくて真理の光は暗闇となった、を意味している(423番)。

 

 

黙示録9・3

『その煙から地にいなごが出てきた』は、感覚的なものとなって、凡ゆる物を感覚とその迷妄から認め、判断する者らを支配しているような、最も外なる部分における誤謬が彼らから発したことを意味している(424番)。 『彼らに地のさそりが持っているような力が与えられた』は、彼らの誤謬が真理であると説きつける力を意味している(425番)。

 

 

黙示録9・4

『彼らは地の草を害ってはならない、またどんな緑の物も、どんな木も害ってはならない、ただ額に神の封印を持たない人間のみを害さなくてはならないと言われた』は、彼らは仁慈の中におらず、引いては信仰の中にもいない者らを除いては何人からも真理と信仰の善とを、またそれらのものに対する情愛と認識とを些かでも取り去ることが出来ない、主の神的摂理を意味している(426番)。

 

 

黙示録9・5

『彼らは彼らを殺さないで、彼らを五ヶ月間苦しめることを許された』は、彼らはまたこれらの者から真理と善とを理解し、意志する〔欲する〕能力を取り去ることは出来ず、ただしばらくの間麻痺状態をもたらすことが出来るに過ぎない、を意味している(427番)。 『その苦しみは、さそりが人間を打つ時の、そのさそりの苦しみのようであった』は、これは彼らの説得力から来ていることを意味している(428番)。

 

 

黙示録9・6

『その日人々は死を求めるが、それを見出さないであろう、死のうと欲するが、死は彼らから逃げるであろう』は、彼らは信仰の事柄においては理解が閉じ込められ、意志も閉じられてしまうことを欲するものの―そうした手段により霊的な光と生命とが消滅されてしまうが―そうしたことは行われることが出来ないことを意味している(429番)。

 

 

黙示録9・7

『いなごの形』は、仁慈から分離した信仰を自分自身の中に確認した者らの外観と映像とを意味している(430番)。 『戦に供えた馬に似ていた』は、彼らは推理することが出来るため、聖言から真理を理解して、そこから戦っているかのように彼ら自身には思われるを意味している(431番)。 『その頭には金に似た冠のようなものがあった』は、彼らは彼ら自身には征服者であるかのように見えた、を意味している(432番)。 『その顔は人間の顔のようであった』は、彼らは彼ら自身には賢明なものであるかのように見えた、を意味している(433番)。

 

 

黙示録9・8

『彼らは女の髪のような髪を持っていた』は、彼らは彼ら自身には真理の情愛の中にいるかのように見えた、を意味している(434番)。 『その歯は獅子の歯のようであった』は、自然的な人の生命の究極的な物である感覚的な物は彼らのもとでは凡ゆる物を支配する力を持っているように見えた、を意味している(435番)。

 

 

黙示録9・9

『彼らは鉄の胸当のような胸当を持っていた』は、誤謬から発した議論は―これにより彼らは戦って、支配するのであるが、その議論は―論破されることが出来ないほどにも強力なものであるように彼らに見えた、を意味している(436番)。 『その翼の声は戦に駆けて行く多くの馬の戦車の声に似ていた』は、彼らの理論は充分に理解された聖言から発した教義の真理から発しているかのようであって、そのために彼らは熱烈に戦わなくてはならない、そうした理論を意味している(437番)。

 

 

黙示録9・10

『彼らはさそりに似た尾を持っていた』は、彼らが麻痺状態を生じさせる手段であるところの、誤謬化された聖言の諸真理を意味している(438番)。 『その尾には刺があり、その力は人間を五ヶ月間害うことであった』は、狡猾に聖言を誤謬化することにより、彼らは暫くの間理解を暗くし、魅了し、かくして欺き、捕える、そうした狡猾な聖言の誤謬化を意味している(439番)。

 

 

黙示録9・11

『彼らは彼らを治める王を、深淵の使いを持っていた、その名はヘブル語ではアバドンであり、ギリシャ語では彼はアポリオンの名を持っている』は、欲念から誤謬の中にいる者らは悪鬼の地獄にいて、聖言を全的に誤謬化することによって教会を破壊してしまったことを意味している(440番)。

 

 

黙示録9・12

『一つの禍いは過ぎた、見よ、今後更に二つの禍いが来る』は、教会の状態について更に嘆き悲しむことを意味している(441番)。

 

 

黙示録9・13

『第六の天使が鳴らした』は、それで賢くはないものの、それでも宗教の凡てを信仰に置き、信仰のみについて考え、好き勝手に生きている改革派教会内の者の生命〔生活〕の状態を点検し、明らかにすることを意味している(442番)。 『わたしは神の前に在る金の祭壇の四つの角から一つの声がそのラッパを持った天使に言うのを聞いた』は、点検し、明らかにしようとしている者たちに向って霊的天界を経て主から発しられた命令を意味している(443番)。 

 

 

黙示録9・14

『大いなるユーフラテス川のほとりに縛られているその四人の使いを解き放しなさい』は、彼らの心の内部が明らかとなるために、外なる束縛が取り去られなくてはならないことを意味している(444番)。

 

 

黙示録9・15

『かくてその四人の使いが解き放たれた』は、外なる束縛が取り去られた時、彼らの心の内部が現れた、を意味している(445番)。 『彼らは人間の三分の一を殺すため、一時間、一日、一月、一年備えた』は、彼らは教会の人間から霊的な光と生命とを取り去ろうと、絶えず努力していた、を意味している(446番)。

 

 

黙示録9・16

『騎士の軍勢の数は二億であった』は、非常におびただしい悪の誤謬そのものから、彼らの心の内部を満たしている信仰のみについて論じることを意味している(447番)。 『私は彼らの数を聞いた』は、彼らの性質が認識されたことを意味している(448番)。

 

 

黙示録9・17

『かくて私はその馬とそれらに乗る者とを幻の中に見た』は、信仰のみにかかわる彼らの心の内部の理論は空想的な、幻想的なものであって、彼ら自身はそのため発狂していたことがその時発見されたことを意味している(449番)。 『火とヒヤシンスと硫黄との胸当てをもって』は、奈落の愛と彼ら自身の理知から、またそこから発した幾多の欲念から生まれてくる彼らの空想的な、幻想的な議論を意味している(450番)。 『その馬の頭は獅子の頭のようであった』は、信仰のみについて、それが力を持っているかのように、抱かれる幻想を意味している(451番)。 『その口からは火と煙と硫黄とが流れ出た』は、彼らの思考と談話の中には、その内部を観察すると、自己と世への愛と自分自身の理知の誇りと、またその二つのものから発した悪と誤謬との欲念以外には何ものもなく、またそこからはそれ以外のものは何一つ発していないことを意味している(452番)。

 

 

黙示録9・18

『この三つにより、(すなわち)彼らの口から発した火により、煙により、硫黄により、人間の三分の一は殺された』は、これらから教会の人間が死滅することが起っている、を意味している(453番)。

 

 

黙示録9・19

『彼らの力はその口に在った』は、彼らはただ信仰を確認するその談話によってのみ説きつけることを意味している(454番)。 『なぜなら彼らの尾は蛇に似て、頭を持ち、その唇で真理を話しはするが、しかしそれを彼らの宗教の頭となっている原理によって誤謬化し、かくて欺くからである、を意味している(455番)。

 

 

黙示録9・20

『その人々の中でこれらの禍により殺されなかった他の者ら』は、前に記した者らほどには、幻想的な理論から、自己愛と自分自身の理知の誇りから、またそこから起ってくる幾多の欲念から、霊的には死んではいないものの、それでも信仰のみを己が宗教の頭としている改革派教会の者らを意味している(456番)。 『なおその手の業を悔改めなかった』は、彼らもまた凡ゆる種類の悪であるところの、彼らの固有性に属したものを罪として避けなかったことを意味している(457番)。 『彼らは魔鬼を崇めた』は、かくて彼らはその欲念の悪の中にいて、地獄にいる彼らに似た者と一つのものとなっていることを意味している(458番)。 『金、銀、銅、石、木の偶像』は、彼らはかくて誤謬そのものから発した礼拝の中にいる、を意味している(459番)。 『それらは見ることも、聞くことも、歩むことも出来ない』は、その中には霊的な、また真に合理的な生命は何一つ存在していないことを意味している(460番)。

 

 

黙示録9・21

『彼らはまたその人殺しを、その魔法を、またその淫行も、窃盗も悔改めなかった』は、信仰のみの異端は彼らの心に愚鈍を、ごまかしを、頑迷を生みつけ、かくて彼らは十戒の教えを何ら考えなくなり、また実にどのような罪も、それは悪魔にくみして、神に逆らうものであるから、避けなくてはならないとも考えなくなることを意味している(461番)。