見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
黙示録3・20
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.ヴァッスーラ
4.マリア・ワルトルタ
5.サンダー・シング
1.聖書
黙示録3・20
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
2.スウェーデンボルグ
啓示による黙示録解説217
20節。「見よ、私は戸の前にあって、叩く」は、主は聖言により人各々の眼前におられて、そこで受け入れられることを切望しておられ、またその方法を教えておられる、を意味している。これに似たことがルカ伝に主から言われている―
あなたらは主人が婚礼から帰って来るのを待っている僕たちのようでありなさい、すなわち、主人が来て、(戸を)叩くと、すぐに戸を開くようになりなさい(ルカ12・36)。
『戸』は中へ入れられることと入ることとを意味することは前に見ることができよう(176番)。
啓示による黙示録解説218
「もし誰でも私の声を聞いて、戸を開くなら」は、聖言を信じて、それに従って生きる者を意味している。『主の声を聞く』はそれに従って行動することである、それは単に声を聞くのみでは、戸は開かれて、主は受け入れられはしないのであり、その御声に従って生きることによって、主は受け入れられるためである。なぜなら主は以下のように言われているから―
私の戒めを守って、それを行う者に、私は私自身を明らかに示し、その者の中に来て、その者のもとに住むであろう(ヨハネ14・21−24)。
人間は悪を罪として避け、善を行うことによって、戸を自分自身から開く者として開かなくてはならないことは、「新しいエルサレムに対する生命の教義」の中に示されており、これが事実であることもまた、ここの主の御言葉、『もし誰でも開くなら』から明白であり、同じくまたルカ伝12・36の主の御言葉からも明白である。
啓示による黙示録解説219
「わたしはその者のもとへ入り、その者と共に食べ、その者はわたしと共に食べるであろう」は、主は彼らに御自身を結合され、また彼らを御自身に結合させるであろう、を意味している。『彼のもとへ入って来て、彼と共に食べる』は、御自身を彼に結合されることを意味しており、連結が起きるためには、相互的なものがなくてはならないため、『彼はわたしと共に』ともまた言われている。連結することが『入って来て、食事をすること』により意味されていることは、主の制定された聖餐から明らかであり、その聖餐により主は主の御声を聞く者のもとに、即ち、聖言を信じる者のもとに、現存されているが、しかし聖言に従って生きる者たちと連結されるのである。聖言に従って生きることは悔改めの業を行って、主を信じることである。『食べる』ことと『主の晩餐』が言われているのは、晩餐[夕食]は夕方にとられ、『夕方』により教会の最後の時が意味されているためである、それで教会の最後の時が来て、主が世を去られるとき、主は弟子たちと共に食事をされて、晩餐の礼典[秘蹟]を定められたのである。『夕』は古い教会の最後の時を意味し、『朝』は新しい教会の最初のときを意味することは、前に見ることが出来よう(151番)。
最後の審判とバビロンの滅亡28
すなわち、それは教会の終りが来ると、主は聖言の霊的な意義を開かれ、かくて神的真理をそれ自身においてあるがままに開かれるであろう。それゆえこれが最後の審判が近づいてきた徴である、ということである。
同注J
主は聖言である。主が来りたもうとは、主が聖言の中に現存されて、啓示されることである(3900、4060)。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P42
‘87・1・30
ヴァッスーラ 愛している、それを疑わないように、あなたの質問に答えよう。 私は自ら選んで私の花嫁となった人びとだけでなく、私を知らない人びとのもとにも来て彼らを選ぶ、どの戸口もたずねては 戸を叩く。 私は戸を叩き 聞こえるのを願いながら 待っている、ヴァッスーラ、すべての霊魂が私を受け入れ 喜び迎えてくれるのを首を長くして待っている。 あなた方皆を愛しているのです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P92
‘88・1・2
♡ 私はそっと彼らの戸口に立ち 前触れなく家に入り 私の聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づく ♡♡ 来なさい 娘よ、「私たち」(us, we)?
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P110
‘88・1・18
♡ ああ ペトロよ(*)、私が自ら選び出し、聖化した者よ、あなたから目を離したことはない、この長い年月あなたを見守り続けてきた、今私は戸口に立っている 兄弟よ、いとしい者よ、戸を叩いて、中に入れてくれるか? 私を拒まないように ペトロよ、愛している、耳をかしなさい、私の声を聞いてほしい、私の声を聞き分けなさい、それは主である、私です、あなたに平和 霊魂よ、喜びなさい! 血を流す我がからだを一致させ、仔羊たちを集めに来た、我が庭園を灌漑しにやって来た、私はイエス あなたの救い主 ♡ 見るように!(**) 見るように ペトロよ、我が聖心には再び数多くの棘が突き刺さっている、愛する者たちから受けた棘が! 我が魂は再び傷つき、われわれ二つの御心は踏みにじられ、どちらも茨の冠を再び被せられている(***)、この脇腹は大きく引き裂かれ 血がほとばしりでている ♡ 今あなたの戸口に立ち、密かな救いの計画を携えてきた、それはここにある。 ♡♡♡ この啓示は我が声、心を込めて、心を込めて あなた方を愛する ♡
* 突然イエスはヨハネ・パウロ教皇の方に向いて直接話しかけられます。
**イエスは服を開いて聖心を示されます。教皇ヨハネ・パウロにご自分の御心をお見せになりたいのです。
***イエスはご自分と御母の御心を指しておられます。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P252
‘88・7・14
♡ あなたに平和 子よ、私を見たら微笑んで 喜ばせてくれるように、ああ ヴァッスーラ 彼らは入口に立たせたまま・・・忘れてしまい、小さな用事に戻って行く、ほら?
目を覚ましなさい! 私が(IAm)戸口に立っている、もの乞いのように、あなたの王が乞食のように懇願しているのを見なさい、愛を乞うている、善良でありなさい! 完全でありなさい! 互いに愛し合い、しばしば悔い改め、よく祈りなさい それも自分の利益のためだけではなく、愛に促されて 来てほしい! 主なる私が愛している。 その愛は天国に入るまで あなたには決して理解し得ない ♡ 私主があなたを抱擁するように 私を抱擁しなさい。 もう罪を犯さないように・・・あなたの弱さ、欠点を知っている、あなたの霊魂を知っている。 来なさい、来て全てを与えなさい あなたを美しく飾る。 ヴァッスーラ 完全に自分たちの心を開いて中に入れてくれるなら もっとよく私を知るようになると伝えなさい、彼らの間にいて耳を澄ましている ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P253
‘88.7.14
主なる私がまだ呼び続けていることを 思い出させなさい、来て 私に近づいてほしい、どうして愛から身を退いてしまうのか? いつも聖櫃のかげにいて 彼らの一人が訪ねて来ないかと忍耐強く待っている、ああ! 今でも待ち続けている・・・理屈が通り正当だと信じさせる あらゆる言い訳をいつも用意しているサタンに警戒するように、まさに道理が通って見えるようにそれらを美しく飾り、あなた方が私のもとに来るのを妨げる ♡ 私は皆を愛する、彼ら以上にあなたを愛してはいないと理解させなさい、これを、彼らの幾人かは完全に理解するように、私の平和と愛のメッセージを読むなら分かるであろう、まだ理解していない人たちのために繰り返し言う、私主は平等に皆を愛している、さあ 来なさい、訪ねなさい、来て私から飲むように そうしたらもっと飲みたくなる、来て私を食べなさい もっと望むようになる、心を開いて私を受け入れなさい、戸口で立たせたままにしないでほしい! 心に迎え入れなさい、必要とするもの 弱さを知っている、あなたの霊魂は私を必要とし 私を通してのみ天国に入る、 敵の敷いた罠になぜ霊魂を陥らせてしまうのか? 私のもとに戻り、顔を向け、みことばを読んで自らを教育しなさい、私を読むのに使った時間は 無駄とはならない ♡ 一日1時間 救い主のために時間を割いてもよいではないか? 互いに愛し合いなさい、互いに平和を保ち、赦しなさい、私があなたの罪を赦すように、悪を愛で返しなさい、善い心を持ち! 完全でありなさい! さあ、愛があなたを愛し 決して見放すことはない、愛が助けとなろう、そして最後まで導いてゆく ♡♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P9
‘88・8・18(修道院にて)
主に、出会ったある団体を助けて下さるようにお願いしました。大変苦しんでいて、悪魔に苛まれていると感じている人びとです。主よ?
私です。 娘よ どの霊魂も解放され得るが 彼ら自身が心を開いてその気になる必要がある ♡ 私はどの霊魂にもその自由を与えた そして彼らの意志は彼らだけのものである、さて もし私に心を開くまいと霊魂が強く抵抗するなら、どうやって私はその心に入って行けようか? 私は主であり神です、しかし全くの自由とあなた自身の意志を与えてあり、もし信じて意志を捧げ、自らを明け渡すなら、私は心に入り あなたを癒す。 強引に入りはしない ♡ 戸口に立って 心を開き 迎え入れてくれるのを待っている ♡
4.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P161
それでもわたしは来るだろう。わたしは倦むことなくひとりびとりの心の扉を叩きに来るだろうし、だれかがわたしに扉を開けてくれるならわたしはそこを平和の住まいとするために入るだろう。依然として、わたしは地球の義人たちと地球のための聖なる人々から今もなお待望されるものであるから来るだろうし、わたしの再臨によって、また最終的な勝利によってわたしの王国を受け継ぐために来るだろう。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P260
北インドに貧しい男が住んでいた。彼には沢山の借金があった。その負債を支払う術がまったくなかった。そこで、金を貸した人々は、合議して、彼を投獄することに決めた。だが、その地方に気前のよい大金持ちがいて、彼の窮状をききつけ、手助けしてやりたいと考えた。このことを誰にも知られたくなかった彼は、夜中の0時過ぎに沢山の食料、それに500ルピー―これは借金以上の額だった―を持って家を訪れた。彼は、一時間も外で戸を叩き続けたが、男は面倒がり、出てこようとしなかった。このため、金持ちは立腹し、助けるに値しない男だとみなして帰宅してしまった。翌朝になり、男は昨夜の事情を知って、非常に後悔した。だが、それが何になっただろう。見よ、王の王が、われわれの罪も負債もすべて帳消しにしようと、戸口にまで来てくださっている。主は、われわれを強め、霊魂の敵に勝利する力を与えてくれる聖なる糧をいっぱいに抱えて、戸を叩かれているのだ。この男のように、怠惰で無関心になっていたりせず、即座に戸を開けようではないか。そうすれば、天上の平和と歓びがわれわれのものとなる。われわれの心そのものが天となるのだ。