黙示録第17

 

黙示録17・1−6

さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。 女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。

 

 

黙示録17・7−14

この女を見て、わたしは大いに驚いた。すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。ここに、知恵のある考えが必要である。七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことである。そして、ここに七人の王がいる。五人は既に倒れたが、一人は今王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、この王が現れても、位にとどまるのはごく短い期間だけである。以前いて、今はいない獣は、第八の者で、またそれは先の七人の中の一人なのだが、やがて滅びる。また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間、獣と共に王の権威を受けるであろう。この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣にゆだねる。この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」

 

 

黙示録17・15−18

天使はまた、わたしに言った。「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である。また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」

 

 

スウェーデンボルグ/『啓示による黙示録解説』P144

 

全章の内容

 

 ロマ・カトリック教について記されている、即ち、それはいかようにして聖言を誤謬化し、引いては教会の諸真理をことごとく歪曲したかが記され(1−7節)、その主権に服従した者らのもとでそれはいかようにしてそれらを誤謬化し、歪曲したかが記され(8−11節)、その主権にそのように自分自身を服従させなかった者たちのもとではそれはそれほど甚だしくはなかったことが記されている(12−15節)。(次に)改革派教会について、彼らは彼ら自身をその主権の軛から引き出したことが記され(16、17節)、それでも尚その主権が続いている(18節)。

 

 

各節の内容

 

黙示録17・1

『七つのびんを持っていたその七人の天使の一人が来て、私と話した』は、ロマ・カトリック教について、今や主から天界の最内部から与えられた流入と啓示を意味している(718番)。 『私に言った、私は多くの水の上に坐っている大いなる娼婦の審判をあなたに見せよう』は、かの宗教が聖言の諸真理を冒涜し、不善化していることについて啓示することを意味している(719番)。

 

 

黙示録17・2

『地の王らはこれと淫行を犯した』は、それが聖言から発している教会の諸々の真理と善とを不善化したことを意味している(720番)。 『地に住む者らはその淫行のぶどう酒に酔わされた』は、かの宗教の中にいる者らにおける聖言の不善化から発した霊的な事柄における狂気を意味している(721番)。

 

 

黙示録17・3

『かくて彼は私を霊の中に荒野へ連れ去った』は、彼が教会の凡ゆる物が荒廃している者らのもとへ霊的な状態で連れて行かれたことを意味している(722番)。 『私は一人の女が冒涜の名に満ちた緋色の獣に坐っているのを見た』は、彼らにより冒涜された聖言に基礎づけられたかの宗教を意味している(723番)。 『七つの頭と十の角をもって』は、最初は聖かったが、後には全く聖さを失って、遂には狂気となった、聖言から発している理知と絶えず聖言から発している多くの力を意味している(724番)。

 

 

黙示録17・4

『その女は紫と緋(の着物)を着ていた』は、彼らの間の、聖言に属した、天的な神的な善と神的な真理とを意味している(725番)。 『金と宝石とを織り込んでいた』は、彼らのもとに在る、聖言に属した、霊的な神的な善と神的な真理とを意味している(726番)。 『真珠』は、彼らのもとに在る、聖言に属した善と真理との知識を意味している(727番)。 『忌まわしいものとその淫行の不潔とに満ちた金の杯を手に持って』は、冒涜された聖言の聖い物から、また凄惨な誤謬により汚された聖言の諸善と諸真理から発したかの宗教を意味している(728番)。

 

 

黙示録17・5

『その額には神秘、地の淫行と忌まわしいものとの母、大いなるバビロンと記されていた』は、ロマ・カトリック教の内的な特質を、即ち、それは、その起原から、威圧〔抑圧〕を求める愛から、教会の聖い物と天界とを支配し、かくて主と主の聖言の凡ゆる物を支配しようとする自己愛から、聖言に属し、引いては教会に属している物を汚し、冒涜したことを意味している(729番)。

 

 

黙示録17・6

『そして私はその女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血で酔っているのを見た』は、主のものであり、聖言のものであり、引いては教会のものである神的諸真理と神的諸善とが不善化され、冒涜され、そのために発狂したかの宗教を意味している(730番)。 『私はその女を見た時、大いに怪しみ、また怪しんだ』は、かの宗教は外部ではそうしたものであるようには見えないのに、内部ではそうしたものであることについて驚いたことを意味している(731番)。

 

 

黙示録17・7

『その天使は私に言った、なぜあなたは怪しみますか。私はあなたにその女の秘義を、その女を乗せて、七つの頭と十の角とを持つ獣の秘義を話しましょう』は、前に行われて、見られた事柄の意味することを明らさまにすることを意味している(732番)。

 

 

黙示録17・8

『あなたの見たその獣は(前は)いたが、(今は)いない』は、彼らのもとで聖いものとして承認はされたものの、実際には承認されはしなかった聖言を意味している(733番)。 『(これから)深淵から上って来て、滅びに行こうとしている』は、平信徒と一般人とが聖言を受け入れ、読むことについて、法皇の枢機卿会議で色々な時に協議されたが、しかし斥けられたことを意味している(734番)。 『地に住んで、その名を世の創設から小羊の生命の書に記されなかった者らは、(昔)いたが、(今は)いないで、しかもいるその獣を見て怪しむであろう』は、かの宗教に属している者らは、それが設立された時から天と地とを治める主権をねらった者らは凡て、聖言がそのようにして斥けられたけれど、依然存在していることに驚き呆れることを意味している(735番)。

 

 

黙示録17・9

『これが知恵のある心である』は、これが自然的な意義における、しかし主から霊的な意義にいる者たちのための解釈であることを意味している(736番)。 『七つの頭は七つの山であり、そこにその女はその上に坐り(10節)、それらは七人の王である』は、かの宗教の基礎となってはいるが、時の経過と共に破壊され、遂には冒涜されたところの聖言の神的善と神的真理とを意味している(737番)。 『五人は倒れたが、一人はおり、他の一人はまだ来ない、彼は来ると、しばらくの時止まるに違いない』は、聖言の凡ゆる真理は破壊されてしまってはいるが、ただ以下の真理は破壊されてはいない、即ち、天と地における凡ての権能は主に与えられたという真理であり、また他の一つの真理も破壊されてはいない、その真理は未だ問題にはされてはいないが、しかし存続はしない、それは主の人間的なものは神的なものである、という真理である、を意味している(738番)。

 

 

黙示録17・11

『昔いたが、今はいない獣自身は第八番目のものであって、その七人に属しているが、滅びに行く』は、聖言は、前に説明されたように、神的善そのものであり、神的真理であるが、平信徒と一般人からは、その指導者らがそれを冒涜し、不善化したことが明らかにされて、そのため彼らを〔平信徒と一般人を〕(彼らの宗教から)後退させないように、それが取り上げられてしまうことを意味している(739番)。 

 

 

黙示録17・12

『十の角は十人の王であって、彼らは未だ王国を受けてはいない』は、フランスの王国内にいて、法皇の主権の軛の下にはそれほどいないものの、しかしロマ・カトリック教から完全に分離はしていない教会が未だ己がもとに形作られてはいない者たちにおける神的諸真理から発した力の方面の聖言を意味している(740番)。 『しかし彼らはその獣と共に一時王としての権威を受ける』は、聖言は彼らのもとに権能を持っており、彼らは聖言により恰も聖言の神的諸真理の中にいるかのようにいる、を意味している(741番)。

 

 

黙示録17・13

『これらは一つの心を持ち、その力と権威とをその獣に与える』は、彼らは教会を治める政治と主権とは専ら聖言を通して来ることを一致して承認することを意味している(742番)。

 

 

黙示録17・14

『これらは小羊と戦うであろう、しかし小羊は彼らに勝たれるであろう、なぜなら彼は主の主、王の王であられるからである』は、主はその神的な人間的なものの中で天と地との神であられるため、その神的な人間的なものを承認することについて彼らと戦われることを意味している(743番)。 『彼と共にいる者たちは召され、選ばれ、忠実である』は、主のみに近づいて、主のみを拝する者たちは、天界に入って来る者たちであり、教会の内なるものと最も内なるものとの中にいる者たちのみでなく、その外なるものの中にいる者たちであることを意味している(744番)。

 

 

黙示録17・15

『彼は私に言う。その娼婦の坐っている、あなたの見た水は、民と群集であり、国民と言語〔舌〕である』は、彼らは法皇の主権の下に在るが、しかしかの宗教により多様に不善化され、冒涜された聖言の諸真理の中におり、その多様な教義と訓練とに、その多様な宗教と告白とに属していることを意味している(745番)。

 

 

黙示録17・16

『あなたがその獣の上に見たその十の角、これらはその娼婦を憎むであろう』は、法皇の主権の軛を彼ら自身から投げ棄てたプロテスタントにおける神的諸真理から発した力の方面の聖言を意味している(746番)。 『その女を剥がし、裸にするであろう』は、彼らは彼ら自身からその誤謬と悪とを脱ぎ去るであろう、を意味している(747番)。 『その肉を食べ、その女を火で焼き尽くすであろう』は、彼らはかの宗教に特有な悪と誤謬とを罪に定めて、彼ら自身の間から破壊し、その宗教そのものを呪われたものとし、それを彼らの間から抹消するであろう、を意味している(748番)。

 

 

黙示録17・17

『なぜなら神は神の御心を行い、一つの心を行い、彼らの王国をその獣に与えることを彼らの心へ与えられたからである』は、主から発した彼らのもとにおける審判〔判定〕を、即ち、彼らはロマ・カトリック教を徹底的に否認し、これを呪われたものとし、破壊し、彼ら自身の間から根絶してしまわなくてはならないという審判〔判定〕を、また彼らは聖言を承認して、その上に教会を創設しなくてはならないという一致した判定を意味している(749番)。 『神の言葉が全うされるまで』は、それらについて予告された事が凡て成就されるまで、を意味している(750番)。

 

 

黙示録17・18

『あなたの見たその女は地の王らを治める王国を持っている都である』は、ロマ・カトリック教は教義の方面では基督教界を支配し、また依然改革派の教会をも、例え彼らは法皇の主権の下にはいないものの、或る程度支配していることを意味している(751番)。